三年目の3・11(2) |
救えなかった命が
海に、空に、大地に消えて行った。
現地をひと目でいい、
その目で見て欲しい。
その肌で感じて欲しい。
もちろん、私もなにひとつできない非力な者だ。
でも、
それを知ること、多少でも
感じることはできる。
それなしでは、
この、いい加減極まりない国で
暢気に暮らしてなどはいけない、と思う。
少なくとも
あの光景を見た者としては
なんらかの思いが生まれるはずだから。
それを詭弁だけで
偉そうに「復興」だのと言い放てるのは
愚かな政治家どもだけだ。
そんななかにあって、
救われた命のあったことを知った。
岩手県釜石市は大津波によって
壊滅した被災地のひとつだ。
その時、
沿岸部にあった小学校、中学校の
児童・生徒たち約600人は
日頃の訓練と教えを守り、
大地震発生と共に
海とは逆の高台へ向かって駆けあがった。
中学生は幼い小学生を気遣いながら。
しかし、指定の避難所も津波に飲まれ
さらに
彼ら(彼女ら)は駆けあがった。
そして、ようやく辿り着いたのは
なんと6日前に開通したばかりの国道だった。
雪が降り始め、日も暮れかけた頃
その、唯一無事だった国道を走る大型車によって
この児童・生徒ら約600人は
ひとりも欠けることなく
避難所に移動できたという。
この国道は、後に「命の道」と言われた。
偶然が救ったのか、必然だったのか・・・。
それは誰にもわからないが
この話を聞いて、少し安堵したのを覚えている。
おそらく、こうして
救われた命も無数にあったろう。
それでも、あまりニュースにはならない。
それだけ、失われた命が多かったからだ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は、その日を迎えます。
それぞれの、思いを胸に珈琲を飲みませんか。