誰かのせいにして |
十代の頃、
上の世代からとやかく言われるたび、
「オレたちのことなんて、
おとなにはわかってたまるか」
と突き放してきた。
これが、
二十代になり社会人になると、
「三十代以上の意見なんて
信じられないぜ」
とうそぶいていた。
その当時、
我々世代を“新人類”と称し
マスコミが取りあげる風潮があって
わりと自己主張を全面に出しても、
かえって
もてはやされたものだ。
それが四十代になると、
いつの間にか
下から突き上げられる立場に変わり、
もう、その上の世代をどうこう言う
立場ではなくなった。
強いて言えば、
会社組織のなかで、
「管理職の連中の言うことなんて
聞いてたまるか!」と
憂さ晴らしのように
飲み屋などで頑張ってみたりした。
ただ、
会社組織というところは
不思議なもので
ある程度コツコツと仕事をしていると
黙っていても
管理職の仲間入りをするもので・・・。
結局は、
下から、さらなる突き上げをくらう。
気づいたら、
もう誰のせいにもできず、
自分さえ信じられないことに愕然とした。
結局のところ
十代の頃から
常に誰かのせいにして
生きてきたということだ。
特にその対象が自分より上の世代だと
どこか正当化されるような
錯覚に陥るのだ。
五十代に入ったいま、
団塊の世代といわれる
諸先輩方の厳しい言葉も、
また若い世代からの
鋭い言葉にも
黙って、素直に頷くようになった。
なにを言われようと
ぐっと、こらえて
苦い珈琲を口に運ぶばかりの日々だ。
今日が雨模様の月曜日ということもあるのか
なんとなく
めいる気分である。
いやはや、
つまらぬ愚痴にお付き合い頂き、
ありがたき幸せ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は元気な一日を!
まずは、店主の淹れる旨い珈琲を飲むとしよう。
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