Yくんと父親の話 |
これは、
私より年下の友人Yくんの話しだ。
Yくんは地方都市で
亡くなった父親の会社を継ぎ、
いまは若き経営者として
日々奔走している。
東京へはよく仕事等で上京するが
なかなか都合がつかず、
久しぶりに会うことになった。
いつしか
私のこのブログの話しになり、
いつも見てますよ、と言われ、
どうも
私を個人的に知る人物に
見られているというのは恥ずかしいもので
「いやぁ、書いてる私は別人格だから」
などと照れ笑いをした。
すると、
「お父さんのこと、書いてたでしょ?」
と、切りだされ、一瞬
いつの、どんなものか思い出せなかった。
「お父さんの自費出版本、読ませてもらいました」
と言われて、
「あ、親父は越せない・・・ってやつね」
と思い至った。
黙って頷いたYくんは
ぼそっと、こう言った。
「私は、越えちゃいましたけど・・・」。
Yくんの親父さんは
彼が高校生のときに
突然病気で亡くなってしまった。
まだ43歳という若さだった。
Yくんの言う、越えてしまったというのは、
そのときの
親父さんの年齢のことだとわかった。
男なら、誰しも同じだと思うが
十代後半、ちょうど高校生くらいの頃は
男親に対して反発ばかりするものだ。
彼も、まったく同様だったという。
ところが、その相手が
突然目の前から消えてなくなった。
その思いは、おそらく
経験したものにしか理解できない。
以降、なぜかYくんは
自分も43歳までしかいきられない、と
ずっと思い続けていたというのだ。
それが、気づくと
いつの間にか、その年齢を越し、
あと数年で50歳を迎える。
「43歳からは、私にとって未知の領域なンです」
そう言われ、
私の思考はそのまま行き場を失い
言葉さえ出なかった。
私の父親は、すでに80代半ばに在り、
私がそこへ到達するまでは
まだまだ長い道のりがある。
Yくんの言われたことを想像するに、
ある意味、私の目の前には
まだあと数十年は親父が辿った道標が見えている。
しかし、彼にはある年齢から、
その先がぷっつりと消えているのだ。
Yくんには二人のお子さんがいる。
高校生の息子さんと
中学生の娘さんだ。
息子さんは、いま
自分が父親を亡くした年齢になった。
Yくんにとっては
ここから先は未知の領域だが、
彼の息子には、
彼自身が道標をつくろうとしている。
父親がもし生きていれば、
いま、どこかの居酒屋で
父親とふたり、
酒を酌み交わすことができたろう。
会社の経営についても、いろいろ相談できたろう、
とさまざまな思いに駆られるという。
それを、Yくんは
自分の息子に果たそうと思っている。
Yくんと久しぶりに会って、
そんな会話が強烈に残った。
帰り際に、
「大正館って、行ってみたくなりましたよ」
そんな風に笑いながら言ってくれた。
お世辞にも、嬉しかった。
「マスターの淹れる珈琲って、どれだけおいしいのか
想像しただけでもわくわくしますものね」
と付け加え、最寄駅の改札で別れた。
店主よ、こう期待されちゃ、
よっぽど旨い珈琲を出さないと・・・笑。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日はさらに旨い珈琲を!
と、店主は日々努力を重ねています、たぶん・・・。
▼小江戸川越イベント情報(G.W.のイベント情報はこちらで!)