昭和の物語 |
低い視点から見る日本の家の視界には、
生きてきた日々について静かに考えさせるものが、
あちこちに佇んでいる。
演出家・久世光彦
「昭和」を懐かしい、と言えば
古いなぁ~と笑われ、
「昭和」をレトロ、と呼べば
リアルでしょ、と揶揄される。
しまいには、面倒になり
口をつぐむ。
そして、腹のなかでは堂々と言う。
私は、れっきとした「昭和」生まれ、
「昭和」育ちだ。
そのせいかわからないが、
時々無性に
昭和に放映されたテレビの、
いわゆるホームドラマが観たくなる。
特に、向田邦子脚本、久世光彦演出のもの。
この頃、CS放送でよく放映されるので
気に入ったものはDVDに収めている。
余談だが、
小津安二郎の映画が学生のころから好きで
小津作品はほとんど観ているが
感覚がどこか似ている。
これも、DVDを時々観ては
その都度、思う事が違い、
なんでもない物語なのに
観るたびに感動する。
この話しは、また別の機会にしたい。
話しを戻すが、
なぜ、その頃のTVドラマが好きなンだろう
と考えたことがある。
ただ単に、私が昭和生まれだから、
と言いきってしまうには、なにか物足りない。
例えば、映画でヒットした
『ALWAYS三丁目の夕日』から
『ALWAYS続三丁目の夕日』 、
『ALWAYS三丁目の夕日’64』と
3作品連続で昭和を描いたものがあったのは
承知のことと思う。
私などは、好んで3本とも映画館で観た。
しかも、ご丁寧に
『ALWAYS三丁目の夕日’64』などは
「3D作品」で観ている(笑)。
しかし、
物語としては面白かったし、
ああ、あんな少年時代だったな、と
思い起こすことはあったが、
なぜか、無性にもう一度観たい、とか
懐かしいなぁ、という感情が湧きあがらない。
おそらく、映画のなかがリアルではないから
かもしれない。
確かに現在の技術を駆使し、
当時の街並みを忠実に再現しているが
それは、みな虚構にすぎず、
どこか美しくも、薄いイメージがある。
もちろん、昭和の街並みはいま探しても
あるはずがない。
それに対して批判するつもりもない。
冒頭の久世さんの言葉に戻るのだが、
問題は「家屋」にあるような気がする。
思えば、向田・久世の物語は
「室内」が丁寧に描かれている。
こちらも、いわば、
スタジオに再現されたつくりものだ。
でも、どこか違う、と私は反論するだろう。
そういえば、
小津さんの映画も
やたら「室内」が映し出されている。
人物さえ居ない「室内」が
数秒のカットで随所に現れることさえある。
ふと、気付いたのだ。
私は物語より、
そこに映し出される
“昭和の暮らし”に共感しているのだ、と。
向田・久世ドラマにしても
小津映画にしても
“昭和の暮らし”を感じさせる
室内の家具、雑貨、装飾品から
何気なく聞こえてくる音、
ときには匂いまでが
すべて「昭和」そのものなのだ。
こんな話しをすると
また若い世代から笑われそうだから
もう止めよう。
ン?あ、そうか!
「大正館」が落ち着くのは、
店内のつくりが、昭和さえも飛び越えて
大正の雰囲気を漂わせているから
私のような「昭和」の人間には懐かしく、
平成の若者には
レトロとして受け入れられるのか。
なるほど、と妙に納得したことで
連休最後の日は、ゆっくり
向田・久世ドラマにでも浸ろう。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日から、また日常に戻りますが
店主は平然といつも通りの珈琲を淹れて
皆さまのお越しをお待ちしております。