楽器は、体を表す |
十代の頃は
仲間と音楽バンドを組んでいた。
店主も、その仲間のひとりだ。
さらに付け加えると
私も店主も、高校時代は
吹奏楽部に所属していた。
いま思えば、
それを誇るどころか、
笑い話でしかないが。
当時、バンドはともかく
吹奏楽部で店主は金管楽器を担当していた。
まあ、それがなにか、というのは
本日のテーマでもあるので
敢えて記さない。
実は、私は部員の誰よりも
ずっと後になって入部したので
何が演奏できる、できないというレベルではなく
とりあえず、すぐにできそうな楽器を、
ということで
友人のTッチーくんの勧めもあり、
(Tッチーくんについては、また別の機会に記そう)
彼が担当していた打楽器のパートに加えてもらった。
私はそんないい加減な決め方で
担当楽器を決めたが
店主をはじめ、
ほかのみんなはどのようにして、
それぞれの担当楽器を決めていくのか
または選んでいくのか
とても疑問だった。
ただ、言えることは、
それぞれが妙にその担当楽器が
似会っていたことだ。
たとえば、店主が金管楽器でないとしたら
妙な構図に見えてくる。
もちろん、見慣れたせいもあるだろうが、
それでも、やっぱり、なぜ?と思うのだ。
とうとう、その疑問は解けぬまま
いつしかそんなことさえ忘れていた。
ところが、いつものことだが
某所で時間潰しのために入った古本屋の棚で
茂木大輔著作の
『オーケストラ楽器別人間学』(新潮文庫)
という本を見つけた。
なんと安価の100円とは嬉しい(笑)。
帰りの電車内からつらつらと
読みはじめたのだが、
まあ、これは一般論なのだろうが
店主をはじめ、
当時の仲間たちの顔を思い浮かべながら
ひとりひとりの担当楽器をあてはめていくと
なるほど、と唸ることしきり。
「名は体を表す」というが、
いやはや、驚くことに
「楽器も、体を表す」ではないか!
店主も、まさに当たっているから笑える。
だが、ここでは
タネあかしのような真似はやめておこう。
店主よ、今度、こっそり教えるよ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日から、楽器を演奏するひとを見る
視点が変わりそうだ・・・笑。
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