目立つ子 |
私は、「目立つ子」だと
言われたことはない。
もっとも、
私自身は地味に生きたいので
目立たなくて、ある意味良いのだが。
「目立つ子」は
ほかの言い方をすれば、
「ひと目を引く子」、かもしれない。
つまり、集団でいても
どこか、その子に目がいく、
もしくは、その子の言動が
誰かれからも注目される。
勿論、善いも悪いも。
しかし、小さい頃は、
そんな子が
うらやましかったりもした。
自分には持っていない
きっと、すごく
輝くような何かがあるのだろう、と。
以前、当ブログにも記したが
大正館のカウンター奥の壁に
私と店主と、その仲間たちの
まだ16,7歳の頃の写真が飾られている。
たまたま、最近
その写真を眺めていて
ふと気づいたことがあった。
この写真に限らず、
この仲間たちで写した写真は
誰が決めたわけでもないが、
それぞれのポジションが
いつも同じなのだ。
中心には決まって亡き友人Nがいて
それを囲むように
私も店主も、その周囲に居る。
そうか、そういうことか、と一人納得した。
Nは確かに、いつも目立っていたし
中心に居て、
あれこれと仲間に意見をしていた。
こういうことは、もう子どもの頃から
ある程度決められているということだ。
そう、多分、
アイドルとかになるような子は
小さい頃から目立っていて
みんなの中心に
自分のポジションをとっていたのだろうし、
そのひとに“オーラを感じる”、
などという言われ方もそうかもしれない。
確かに、そんな友人や知人が居た。
自分にはないから、
余計に憧れる。
そんな風に、一度でいいから
オーラを感じたよ、と言われてみたい。
むかし、銀座を友人と二人で歩いていたら、
3、4人の若い女連れが向こうから来た。
よく見れば、誰もが皆
スタイルもよく、可愛い顔をしているのに
なぜか、私も友人も
そのなかの一人の女にしか
目がいかなかった。
別に、その娘が中央にしたとか
派手な服装を着ていたとかではないのに。
彼女らとすれ違った後、
その友人と、
やっぱりそうか、目を引いたよな、あの娘、
と話して笑ったことがあった。
そういえば、
商店(店構え)にも、そんなものがあるような気がする。
ずらっと立ち並ぶ商店街の通りにあって、
いつも目立つ店と
いつも目立たない店がある。
同じような造りなのに、
必ず見落としてしまう店がある。
理由を問われると困る。
ただ、目を奪われる店と
まったく目のいかない店がある。
だからといって、
店の扱う商品がどうこういうものではない。
ただ、それだけのことだが、
そんなことで売り上げが左右される
つまり、それが損得に関わると、
事は黙って見過ごすわけにはいかない。
でも、自分を慰めるワケではないが
目立たなくても、
そのポジションを埋めるのは自分だし、
そこに、その店がなければ
商店街は成立しないということもある。
・・・うん、うまく、まとめた(笑)。
ところで、
「大正館」は夢通りにあっても
目立つ店の部類に入るのではないか?
店主自身は・・・ま、これはいいか、見ての通り。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日からも、目立たない自分のポジションをキープし、
前向きにやりましょう!
▼大正浪漫夢通りサイト
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