プラモ |
先日、「大正館」で
店主や友人M.H.と
「プラモデル」の話に及んだ。
やはり、私たちの子ども時代を語る上で
この話題は避けて通れないだろう(笑)。
冒頭から資料に頼るのも
なんだが・・・お馴染み
「ウィキペディア」で確認したら
こう記されていた。
やや長くなるが、
以下、ウィキ「プラモデル」項の一部抜粋・・・
日本にプラモデルが渡ってきたのは
アメリカでプラモデルが普及を始めた
1950年代初めで、
主に在日米軍関係者によって持ち込まれた。
1956、7年になると
少数ではあるが外国製のプラモデルを
輸入して販売する店も現れ、
玩具メーカーのマルサン商店や
模型メーカーの日本模型などが
プラモデル国産化への模索を開始した。
国産初のプラモデルとなったのは、
1958(昭和33)年末に
マルサン商店から発売された
「潜水艦ノーチラス号」等4点のキットである。
1950年後期から1960年代は、
戦記映画の人気や雑誌・出版物の影響で
軍艦や飛行機など、
実物の縮尺模型が主だったが、
1960年代後半の
今井科学(のちのイマイ)による
「サンダーバード」シリーズの大ヒットにより
キャラクターモデルという分野が確立した。
その後、スーパーカーブームでも
プラモデルはブームの一端を担った。
とある。
この文献でわかるように
キャラクターモデルを確立した
1960年代後半、
その、まさに中心にいた世代が
私たちというわけだ。
先日も、
「サンだ―バード」は
シリーズの、
そのほとんどを組み立てたと話した。
私と店主は、
共に川越市内で育ったこともあり
プラモをどこで買ったか、という話になり
店主はそのほとんどを
「大正館」そばの蓮馨寺に近い
「おびつ(現在もプラモデル専門の店がある)」
だという。
私も、確かに「おびつ」で購入した物もあった。
ただ、私の場合は、
一番多くプラモを量産(笑)していた当時、
西小仙波というところに住んでいたことから
新冨町に位置する小さいながらも
流行りのプラモが入手できた店にかよった。
ただ、いまはその店の跡はあるものの
別の店舗になっているのが残念だが。
そこは、
本川越駅前の道を蔵造り方面へ向かい、
「福登美」さんを過ぎた最初の信号を右折
~ライオンズマンション(新富町)脇~し
細い道を入ると
ちょうど小江戸蔵里の通りに出るが、
その通りに出る角に
プラモデル専門(?)の店があった。
どなたか、記憶にないだろうか?
情けないが、店の名前も覚えていない。
しかし、明らかにその店で
「サンダーバード」シリーズの大半を購入したのだ。
話がだいぶ逸れたが、
そのプラモも、近年、
あまり子どもたちの間で話題になることが少ない。
再度「ウィキペディア」で確認してみる。
1980年代前半の
ガンプラ(ガンダムのプラモデル)ブームで
プラモデルはブームの主役の座を得た。
1990年代末頃から
模型業界にも
ファクトリーオートメーションの導入が進み、
プラモデル製品開発の労力が大きく縮減された。
しかしながら2000年代以後は、
経済産業省の工業統計表によると
「プラスチックモデルキット」全体の
出荷額は、大幅に減少している。
プラモデル市場の衰退については、
急激な勢いで進む少子化と、
縮小する市場のパイをめぐっての
テレビゲーム等の他の玩具との競争が
要因としてあげられており、
高品質低価格化が進む食玩具等の
塗装済み完成品模型の存在が
プラモデル市場を圧迫しているとの指摘もある。
(※ウィキ「プラモデル」項の一部抜粋)
頷けるが、なにか、あの頃
私たちがプラモから受けたもの、
たとえば、
想像力を養うことや、
手間暇をかけた分、
じっくり自分と対峙する時間がもてたこと、
さらに、その先にあった
達成感といったものなどが、
いまの子どもたちにはあるのだろうか。
そんな疑問が残る。
本日も、
珈琲とはまったく無関係な話題で申し訳ない。
どうやら、この土曜・日曜は
晴天で暑くなりそうだという。
どうぞ、川越観光にお出かけください。
・・・という観光宣伝で
締めさせてもらうことでご勘弁願いたい。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日もグダグダとブログを書かせて頂くが
珈琲の話題になるかは、目下のところ不明。
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