池袋モンパルナス |
池袋界隈の開発が盛んである。
昨日も、某紙の夕刊に
“住みたい街 池袋急浮上”
と一面に見出しがあった。
なんでも、
某民間企業の調査によると
「住みたい街ランキング」で
池袋が3位に入ったという。
私の小さい頃からのイメージは
なんだかひどく猥雑な街という
そんなものでしかない。
ただ、
十代の半ばをすぎ、
友人や仲間と出かけるようになると
川越から一番近い“東京”として
わりと重宝がられた気もする。
私でいう、その時代とは
1970年から80年で、
西武デパート、パルコなど
流通業界のメッカとして騒がれた頃だ。
実は、私には個人的に
池袋というと、
もうひとつどうしても
頭から離れないことがある。
それは、
「池袋モンパルナス」だ。
1920~30年代、つまり
大正後期から終戦後まもなくまで
池袋(現要町)周辺に、
いくつものアトリエ村
(貸し住居付きアトリエ群)が存在し、
当時の画家や詩人といった多くの芸術家たちが
大挙して住みついたという。
彼等は、
芸術の都であったパリのそれに憧れ、
その一帯を「池袋モンパルナス」と称した。
簡単にいえば、そういうことだ。
私が油絵を学んでいたころ
以前もここに記したが
夭折の画家・佐伯祐三を調べていて
この「池袋モンパルナス」という
芸術家の集まる一帯の存在を知った。
その後、宇佐美承著
「池袋モンパルナス」(集英社文庫)
を読み、当時の状況を知るに至った。
そうして、遠い昔の、
ましてや体験もない
その風景や暮らしに、なぜか魅せられ、
惹かれていった。
もうだいぶ前だが、
池袋にある豊島区立郷土資料館で、
そのアトリエとなった住居の模型や
当時の写真などを見て、
その憧れはますます強くなった。
その時代に、もし自分が生きていたら
ぜったいに、
そこに住みたいとまで思った。
勿論、お世辞にも
素敵な暮らしぶりではない。
むしろ、体のいい長屋みたいなものだ。
それでも、
なにか若いうちに持ち得る
エネルギー、情熱というのか
そういうものが
その暮らしのなかに感じられたのだ。
時代と共に
あちらこちらが開発されるなかで
ある種の歴史は、カタチを残すものと
言葉や文献だけで残るものがある。
川越もそうであるように、
ここもまた、
単なる<跡地>でしか残っていない。
余談だが、
そのなかのメンバーの一人
画家の寺田政明氏の息子は
俳優の寺田農氏である。
そんなこともあり、
農氏自身の体験などをまじえた
講演会や芝居などで
しばしば
当時の様子が語られている。
しかし、
それも、時間の経過とともに
資料として語られるだけの
歴史に代わるだろう。
今日も、珈琲の話題とは遠くなったが、
おそらく、そこに住みついた
芸術家たちは
珈琲一杯を片手に
多くの夢を語りあったことだろう。
▼長崎アトリエ村(豊島区資料館)
http://www.city.toshima.lg.jp/bunka/shiryokan/josetsuten/005870.html
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は月曜日・・・その重たい気持ちと
身体を起し、熱い一杯の珈琲からはじめましょう。
▼大正浪漫夢通りサイト
http://www.koedo.com/index.html