最後のときと、墓碑銘 |
僕が一番好きな最後の言葉は、
勝海舟の「コレデオシマイ」というものだ。
それ以外には
近松門左衛門がいいことをいっているね。
「口にまかせ筆に走らせ
一生をさえずり散らし、
今わの際に言うべく思うべき
真の一大事は
一字半言もなき倒惑」と。
近松門左衛門は、いざ、
最後の言葉は何だと聞かれると、
何も出てこないのはどういうわけだ
と当惑している。
僕は、なるほどと思ってね。
山田風太郎著『コレデオシマイ。』(角川春樹事務所)より
山田風太郎は好きな作家だが、
正直なところ、
あまり小説は読んだことがなく
もっぱら随筆が多い。
つまり、物語より、
人間として、彼本人が好きなのだ。
ちょっと調べ物をしていて、
久しぶりに彼の著書を
例によってペラペラと繰っていたら、
かなり前にチェックを入れた
(余談だが、本を読んでいて
気になった個所などに
いつも黄色かオレンジ色の色鉛筆で
波線を引くクセがある)
その部分に当った。
人間も50歳半ばを過ぎ
60歳が見えてくると
ゴールを意識してもおかしくはない。
仲間うちでも
すでに鬼籍に入った
友人、知人が数人はいるのだから。
ほんの少し前は
「人生50年」なんて言っていたと思うが
いまは平均寿命も延びて70歳代まで上った。
とはいえ、
若かった頃の十年と
この年齢になってからの十年では
心身ともに大きく違う。
一日一日の重みも違ってくる。
たとえば、あと、この店の珈琲が
死ぬまで何杯飲めるだろうか?とか、
何年珈琲を淹れ続けられるだろうか?
とか・・・である(苦笑)。
盟友であったNが亡くなったとき
初めて「友」の死があることを知った。
その墓標には
彼が最後まで楽しみにしていた
薔薇の花が記されている。
それを見てから、
もし自分なら何を墓標に描いてもらおうか
と考えてみるようになった。
ふと思い浮かんだ墓標は
やはり好きな映画監督のひとり
小津安二郎氏の墓石に刻まれた「無」の一文字。
ちょっと記憶をたどって検索したら、
こんな墓碑銘があった。
海外では作家の
F.スコット・フィッツジェラルドは
自著の『グレート・ギャツビー』より
「誰か人を批判したいような気持が起きた場合には、
この世の中の人が皆自分と同じように
恵まれているわけではないということを、
ちょっと思い出すべきだ」
と刻んでいる。
小説『赤と黒』の著者スタンダールの
「生きた、書いた、愛した」
は、簡潔ながら
広告のコピーを思わせるような
端的な言葉で表現された墓碑銘だ。
さすがに、と思わせるのは
怪奇小説などで有名な
エドガー・アラン・ポーは、
本来は不吉とされる
カラスの絵柄が墓石に描かれている。
世界的な作家ヘミングウェイは
実にユニークだ。
「起きることが出来なくてすまんな
(Pardon me for not getting up.)」とある。
また墓碑銘ではないが、
作家の太宰治の墓石には
本来本名である
津島修二の名前ではなく
「太宰治」と刻まれている。
しかも、その題字は
作家の井伏鱒二が書いたという。
なんだが、話の論点がどこにあるのか
書いている私にも不明になってきた。
この天候のせいか、
滅入る話題しか思いつかない。
そう、つまり、「最後」の話である。
演出家であり作家であった
久世光彦著の
『マイ・ラスト・ソング
―あなたは最後に何を聴きたいか』(文芸春秋)は
死を目前にし、最後にどんな曲を聴きたいか
ということをテーマに書かれたものだ。
さて、自分は?と思うと、
これがなかなか思い浮かばない。
その1曲というのが難しいのだ。
こうして書いてきて、
まず店主にお願いしておこう。
線香の代わりに
旨い珈琲を1杯でいいから
遺影にでも供えてくれ!
ほかは、花も弔辞も要らない。
それと、墓も不要だ。
遺骨はこっそり、
どこかの海にでも撒いてほしい。
但し、山は断る。
そこ(一ヶ所)に居続けるのは苦手なので
できればあちこちへ浮遊していたい。
そうそう、肝心なことだが
葬儀、またはNのような「お別れの会」
といった類のセレモニーもいらない。
あ、そうか、
私の場合、それほど友人、知人も少ない者は
はなからそんな心配はせずとも
ひっそりと終わりを迎えるか・・・失礼した。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は天候も回復するらしいが、ひとは
環境によって左右される生き物だという証拠だ。
ま、滅入らずに旨い珈琲を飲みに立ち寄ってください。
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