無法松の一生 |
唐突だが、『無法松の一生』といって
すぐに映画や芝居を思い出される
年輩の方は多いはず。
やはり、映画はなんといっても
名優バンツマ(阪東妻三郎)主演、
伊丹万作脚本、稲垣浩監督、宮川一夫撮影
という豪華陣で1943(昭和18)年に大映で
最初に製作された作品だろう。
余談だが、阪東妻三郎は
俳優の故・田村高広、田村正和、田村亮三兄弟の
お父上であり、
伊丹万作は、以前ここで取り上げた
伊丹十三のお父上である。
才能は受け継がれていくという好例だろうか。
さて、この作品だが、かなり前に
私もテレビで一度だけ観た。
本作はその後、数回映画会社やキャストを替えて
映画化されているのは知っていたが
特に興味もなく、ほかのものは1本も観ていない。
実は、本題はここからである。
先週、当店で撮影を行っていたとき
店主が貴重な写真を見せてくれた。
なんと店内の一角に座ってくつろぐ
俳優・故三国連太郎の晩年の姿だった。
その場に居合わせた一同、絶句である。
聞けば、当店の近くにある
「旧川越織物市場」界隈などをテレビ取材した後に
当店へ休憩のために寄られたという。
それは、なんと1963年に東映で撮影された
三國連太郎主演の『無法松の一生』の
ロケ地となった川越を訪ねるという企画だったらしい。
それで慌てて調べてみたら、
戦後になってから2度目に製作されたものだった。
脚本に伊藤大助、監督は村山新治となっている。
そして、そのロケ地が先にも記したが
なんと川越市内各所に渡っているのだ。
「旧川越織物市場」を中心に
蔵造り界隈から第一小学校の校庭でも
当時の児童らをエキストラに
運動会のシーンを撮影したという。
これは、その写真の話から私の父親に聞いたのだが
その撮影の話は当時市民の間でも話題になり
撮影当日は多くのギャラリーが押し掛けたという。
何しろ、当時も人気の高かった三國連太郎である。
一目見ようと、ひとだかりができたことは
改めて言うまでもない。
父親でさえも、こう呟いた。
「その日、仕事でなけりゃ、
ちょっと行きたかったなぁ~」と。
三國連太郎版の『無法松の一生』・・・
一度観てみたい。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日も好天は望めないようで・・・ならば、
珈琲を傍らに、DVD観賞と決め込むか。
▼大正浪漫夢通りサイト
http://www.koedo.com/index.html