忘れた頃に、ヘミングウェイ |
“ヘミングウェイ”という作家も稀有なひとだ。
作品を読んだことがなくとも
どこかで、一度は耳にするだろう、
そういうひとでもあるからだ。
例えば“パパ”と付して
「パパ・ヘミングウェイ」などとも呼ばれる。
そちらの方が、耳に慣れた方も多いはず。
いずれにしても、寺田寅彦先生の
「天災は忘れたころに・・・」を借りるなら
「ヘミングウェイは、忘れたころにやって来る」
といった感じに私は思える。
ネタに困ると、と言えば語弊があるかもしれないが
ある周期ごとに、さまざまな雑誌で
「ヘミングウェイ特集」を組んだりする。
書籍を中心に、ライフスタイルや嗜好品
または彼が好んで滞在した場所など
広範囲に及び記事が集まり、
あっという間に1冊まるまる彼の関連で
誌面が埋まるという利点があるのだ。
そして、私のように、
全ての作品を読んでいる熱狂的なファン
というワケでもないのに
書店で見かけると購入したくなるのだから
マス媒体で生きている業界人にも有難いし
我々のような受け手側にも嬉しい
なんとも不思議な存在ではある。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
(ErnestMiller Hemingway~1899~1961年)は
いまやアメリカ古典文学を代表する文豪だ。
読破しているかどうかは別にしても
『日はまた昇る』、『武器よさらば』、
『誰がために鐘は鳴る』、『老人と海』・・・
などは聞いたことがあるだろう。
私などは、いま挙げたものは全て映画で観ている。
特に『誰がために鐘は鳴る』は
若き日の、
女優イングリッド・バーグマンに魅せられ
何度観たことか・・・。
なので、実際に活字で読んだのは『老人と海』、
そしてあまり知られていない短編や長編のいくつかだ。
そうそう、
パパ・ダイキリ(カクテルのフローズン・ダイキリ)
という酒を愛飲していたのは有名だが、
『老人と海』(福田恆存・訳)の作品中に
「老人はコーヒーをゆっくり飲んだ。
これが一日の全食糧だ。
それを飲まねばならぬことを、かれは知っている」
という文章が出てきて、
当時まだ未成年だった私は、珈琲を飲んで過ごした。
これも余談だが、
数年前に自殺したミュージシャンの
加藤和彦が、1979年に
『パパ・ヘミングウェイ』という、
ヘミングウェイをテーにしたアルバムを
1枚発表している。
もちろん、リアルタイムで私は購入している。
そういえば、50年以上前の7月
彼も、またライフル銃で自殺してしまった。
ここしばらく、ヘミングウェイの話題を耳にしない。
そろそろ、忘れた頃合いだが・・・。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
▼加藤和彦『パパ・ヘミングウェイ』から「メモリーズ」