久保田二郎 |
もし、あのひとたちが生きていたら
こんな時
どんな言葉(メッセージ)を発するだろうか?
そんなことを考えることが多い。
“あのひと”とは
僕が十代のころに
さまざまなメディアを媒介にして出会い、
感化された、憧れの年長者たちだ。
そんな“あのひと”たちのひとりに
「久保田二郎」という
ちょっと謎めいたひとがいる。
以前、このブログに登場した
「植草甚一」とも深い関わりがあり、
僕のなかでは、ふたりともある意味
変わったオジサンであり、人生の大先輩として
未だに尊敬さえしている。
「久保田二郎」と聞いて、
あーあのひとか!と
即座に反応を示してくれる方は
同世代でもどれくらいいるのだろうか。
若い世代なら、ほとんど知らないと思う。
1926(昭和元)年、
千駄ヶ谷の裕福な家庭に生まれ、
青山師範付属小学校在学中からジャズに親しみ、
法政二高、法政大学を卒業し、
大学在学中はドラマーとして活躍。
その後ジャズ評論を書き
JAZZ雑誌の草分けだった
スイング・ジャーナルの編集長になった。
ところが、1970年代に入ると
ジャズ評論家を廃業し、
アメリカ文化をテーマにした
エッセイなどを書くようになる。
実は、この頃、僕は彼を知ることになるのだけれど
晩年は、世のなかを見限ったように
その動向も言動も知られず、
1995(平成7)年、急逝してしまった。
確か、ラジオかなにかで
その訃報を知ったのだけど、
一部のマスコミで取り上げられたくらいで
寂しい、というより、彼らしい、と思った。
肩書は何だったのか?
そもそも、
肩書なんていうものを嫌ったひとだった。
たまたま読んでいた
雑誌に彼のコラムが掲載されていて
その歯切れのいい言い方や
ほかの人とは違った見方に
若かった僕は、一気に彼の魅力に惹かれた。
たまに出る深夜のテレビ番組で彼を観て、
ますます憧れはつのるばかり。
なんともダンディで、“おとなの男”を感じた。
あんなひとは、いまは居ない。
こんな世のなか、彼が生きていたら、なんて言うだろう?
もしかしたら、鼻でフンと笑い、
いかにもバカバカしい、と言わんばかりに
大好きなJAZZの音量をフルボリュームにして
苦い珈琲を片手に煙草にでも火を点け・・・
多分、そんなところだ。
当時、彼の著書は随分購入したし、
雑誌で彼のコラムなどを見つけると真っ先に読み漁った。
いまでも、書棚に並ぶ彼の著書を引き出しては
「そう、そうだよなぁ、
こんな生き方してちゃ、ダメだなぁ」
と呟いたりしている。
彼の著書には、“癒される”というよりは、
「叱咤激励」という感じが近いか・・・いや、
そんな言い方さえも、きっと、
彼は鼻で笑って相手にもしてくれないだろう。
本日も、ご来店ありがとうございました。
マスターに代わり、お礼申し上げます。
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