一日の終わり |
お金には縁はなかったけれど
まだ十分に若く、
ささやかながら希望もあって、
一日の終わりをひとり、
じっくりと噛みしめることができた頃。
狭いながらも
自分の世界を保ち、
夢ばかり限りなくひろがっていた部屋で
毎晩のように一日の終わりを
迎えていた。
お気に入りのマグカップに
珈琲をなみなみと注ぎ
ちょっと気取って
洋モク(外国産煙草)を吸い、
やっと買い揃えた
自慢のオーディオの前に座り込む。
そのときの気分に合わせて
聴きたいレコードをチョイスする。
ターンテーブルにレコードを乗せ、
針が落ちるのを眺める。
なにもかもが、おだやかで、ゆっくり動く。
時計の秒針さえ、スローに見えるくらいに。
気が向けば、
一日の出来ごとをノートに記す。
自分の人生が、これからどこに向かい
どんな風にいくのだろう、とあれこれ夢想した。
そうやって、長い夜を、一日の終わりを
静かに、ゆったりと迎えていた。
あれから、何十年という月日が流れ
いまは、一日の終わりとはじまりの
区別さえ曖昧だ。
時計の針も容赦なく猛スピードで廻り
気持ちが落ち着く暇もない。
レコードを聴くどころか
CD1枚聴くことも少なくなった。
眠気覚ましに苦い珈琲を何杯も飲み、
煙草はさすがに吸わないが
いつの間にか
大して飲めなかった酒も量が増えた。
夜になると毎日、机の脇に乱雑に積み上がった
資料の山を片付け、
せわしなくパソコンのキーを叩く。
そして思うのは
自分はいったい、
どんな人生を生きてきたのだろう、
これから、
どんな風に終わっていくのだろう、と。
本日も、ご来店ありがとうございました。
マスターに代わり、お礼申し上げます。
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