アーニー・パイル |
どうも年齢のせいなのか、
いや、若い頃からわりとそうだったので
多分、嗜好の問題だと思うけど。
どういうわけか
古く、しかも今は現存しないもの、
失ったものが好きなのだ。
いまは無い!といわれると
無償にそれが欲しくなる、見たくなる
行きたくなる、と言った具合に
どうしようもない。
川越でも、いまは現存しないものや場所には
ひじょうに興味がわくのだが、
未だにあって、
しかも進化し続けているもの
(リニューアルと称して姿を変えたもの)には
批判こそすれども、
興味の対象にはならない。
さて、本題―――。
数日前、用事があって
有楽町~日比谷界隈に出向いたとき
すっかりこの辺りも変わったなぁ、
などと少し歩いていたら
「東京宝塚劇場」の前に出た。
そしたら、急に
昔読んだ一冊の本と
その本に描かれていた“幻の劇場”を思い出した。
その本の著者は斎藤 憐。
劇作家・演出家として有名だから、
ここでとやかく言うことではないので
省略するけれど、
誰もが知る、あの舞台(映画化もされた)
『上海バンスキング』の作者だといえば
わかるだろう。
その著書名は、
『幻の劇場 アーニー・パイル』。
恥ずかしいことに、
僕はこの著書で、その劇場のことを知った。
もっとも、それももう30年近く前のことで
著書の詳しい内容については
ほとんど記憶にない。
ただ、戦後のある時期、
東京のどまんなかに在りながら
日本人の出入りを許さなかった劇場が、
ここに現存し、毎夜、
進駐軍のための華やかな劇場となっていたという。
そんな、奇妙な歴史があったことだけは
鮮明に記憶している。
その劇場の名前を
「アーニー・パイル」といった。
この名前の由来は
太平洋戦争に参加した
アメリカの青年記者の姓名からとられている。
彼は不幸にして沖縄海戦中に戦死してしまった。
なぜ、そんな一民間人の名前がつけられたのか・・・
いずれにしても、もろもろの
詳細を語るには無理があるので、
興味のある方は
ご自分で文献などを当たって欲しい。
この劇場から
後に一世を風靡する
トニー谷なるコメディアンも輩出するのだが、
やはり、これも記すのは止めておこう、
間違いなく、収拾がつかなくなる。
最後に、
実業家、政治家であり
阪急電鉄や宝塚歌劇団をはじめとする
阪急東宝グループ
(現・阪急阪神グループ)の創業者である、
つまり当劇場を建てた
小林一三氏が残した書(原文のママ)
『アーニイ・パイルの前に立ちて』という
興味深い文献を後から読み、
ますます、
この幻の劇場のことが気になりだした。
一度でいいから、こっそりと
覗いてみたいものだ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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