片岡義男という時代 |
深夜、懐かしい映画を観た。
1981年に
東映と角川春樹事務所によって製作された
『スローなブギにしてくれ』だ。
主演女優の浅野温子がまだ若く、
スクリーンでは初々しいヌードも披露している。
もちろん、共演した俳優陣も
故・古尾谷雅人も青年だし、
山崎努も友情出演だった原田芳雄も
皆、当たり前だが若い。
そして、当時、映画と共に
ラジオからいつも流れていた
映画のテーマソングである
南佳孝が歌う
『スローなブギにしてくれ(I want you)』も
あの頃を懐かしむのに十分だった。
その映画は、確か、映画館に観に行っている。
角川映画全盛の頃でもあったし、
それより原作者が「片岡義男」だったこともある。
片岡義男、と言っても、
多分若い年代の方には馴染みのない名前だろう。
調べたら、1939(昭和14)年の生まれとある。
従って、現在76歳か。
改めて年齢を記すと、随分
歳をめされた感じはあるが、
それでもいま現在も活躍中と聞く。
そう、ちょうど僕らが20代前後の
1970年後半から80年代にかけて
当時の若者たちの間では
片岡義男という名前を
聞かない日はなかったかもしれない。
角川春樹という、これも一時代を築いた
男の出現と相まって、
ある時期、僕ら当時の若者から
絶大なる支持を受け、
間違いなく、その時代の
“文化”を創ったと言ってもいいかもしれない。
初めて片岡義男を知ったのは
やはり当時のサブ・カルチャーを先導した雑誌
『宝島』だった。
そして、次に彼を認識したのは
同じく、若者文化を次々に創出していった雑誌
『ポパイ』だ。
どれも、当時の若者には刺激的な内容だった。
なにしろ、彼が紹介する
“アメリカ文化”は、どれも輝いて見えた。
それまでと、まったく違うライフスタイルを
これでもか、これでもかと紹介する
彼のコラムやエッセイ、そして
まるでアメリカの小説を読んでいるような
ライトでカッコいい小説は
僕らの憧れの世界を提示してくれていた。
また、それをこれでもか、これでもかと
先に紹介した角川春樹が自らの出版社
「角川出版」から本にして発売していく。
しかも、我々お金のない若者が手軽に買え、
ポケットにも突っ込んで持ち運べるという
文庫版サイズでの出版だった。
それを思い出し、実家に眠っていた
彼の本を探したが、
もうほんのわずかしか残っていなかった。
多分、当時、20冊以上は買って
いつも持ち歩いていたと思う。
当時の若者の新しい雑誌『ブルータス(17号)』でさえ、
なんと大胆にも
「片岡義男と一緒に作ったブルータス」
という一冊、まるごと片岡義男特集という
号を制作した。
それを見れば、どのくらいのものだったか
だいたい想像はつくと思う。
もっとも、
その後、少しずつ彼の本も、彼のことも
僕のなかから離れていった。
ただ、彼の書く小説世界には
もう戻らなかったけれど
例えば、彼が紹介する「アメリカの広告」のことや
僕の好きな小津安二郎の映画では欠かせない
永遠のヒロイン「原 節子」について書かれた
彼の書物は、ことあるごとに読んできた。
考えてみたら、
サーフィンも、ローラースケートも
車やバイクも、
ただの事務的なものじゃない文具類の存在も
アロハシャツも音楽も、
バドワイザーなどのライトビールも
ブレックファーストという言い方や
珈琲の素敵な味わい方も
彼のエッセイやコラム、小説から教えてもらった。
それは、村上春樹の小説が登場するより
ほんの少し前にあった
“片岡義男の時代”の話だ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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