長い付き合いの、モノ(物) |
「いま現在、ご自身の持ち物のなかで
もっとも長くあなたの傍にあるモノ(物)、
または使っているモノ(物)はありますか?」
某局の街頭インタビューで、
街ゆくひとにこんな質問を投げかけていた。
“長い”という単位は、ひとそれぞれに
受け取り方が違うせいか、
またはあまりにも漠然としているせいか、
歯切れのよい回答を瞬時に出すひとは少なかった。
もっとも、僕はその質問の趣旨である部分を
観損なっていたので
なんのためのインタビューだったのか
理解していたわけではないので
なんとなく観て(聞いて)いた。
ある初老の紳士が
自分の鞄を指して、もう20年は使っている、
と答えていた。
また、ある年配のご婦人は
自分の首に掛けていた真珠のネックレスを指し、
母親から譲り受け、
もうン十年もこうして使っている、
と嬉しそうに答えていた。
若い女学生さんは、
自分が幼かった頃から
寝るときには必ず抱いていた
クマのぬいぐるみと答えていた。
さすがに今は抱いては寝ないが、
大学生になった今も自分のベッドにあって
それがないとなんとなく心もとないという。
そんな答えをいくつか聞いていて、
はて、僕自身はそんなモノ(物)があるだろうか?
と考えてみた。
自分ではわりとひとつのモノ(物)を
長く持つ、または使う方だと思う。
だから、挙げていったら
際限なく出てくるだろう。
それに、それなりに、そのモノ(物)への
思い入れが強くなるせいか
なかなか手放すことができないし、
などと、自分なりの回答を考えてみた。
そうそう、小学生の頃、
初めて自分のお小遣いで買ったレコード
~正確にはソノシートというものだが~
「(当時の)アニメソング集」などは
それに当たるかもしれない。
これなら50年ほど経ったいまも
未だにレコード棚に収まっている。
ただ、これは捨てずに“在る”だけで、
言ってしまえば、聴かなくなってから
50年ほど経つのだから、
“無い”に等しい。
そういうモノ(物)は、
果たしてこの質問には該当しないだろう。
そう考えると、
“長く傍にあるモノ(物)、
または使っているモノ(物)”
という質問はなかなかに難しい。
先の初老の紳士ではないが、
鞄などは気に入れば、
そしてある程度そのモノ(物)が丈夫であれば
年齢と共に長い付き合いにはなる。
きっと、そういうモノ(物)って、
意外に身近すぎて気付きにくいのかもしれない。
ああ、そういえば、これかなぁ・・・!?
と時間をかけて思い至るという感じだろうか。
それだけ、そのひとのなかでは、
生活の一部のようにピタッと寄り添っていて
誰かに問われなければ
そうそう思い出すようなモノ(物)じゃないのかもしれない。
ひょっとして、この街頭インタビューの趣旨って
案外こんなところにあったのか。
そんなこんなをつらつらと考え、
結局思い当たるモノ(物)などないな、と結論付けて、
傍らに立てかけている古いギターを手に取った。
その瞬間、思わず笑ってしまった。
手にしたギターは、
普段気晴らしにかき鳴らすオモチャ代わりのモノ(物)。
それも2本あって、一本は
いわゆるフォークギター。
もう一本はクラシック(ガット)ギターだ。
古いし、安物だから、と
ガチャガチャ遊ぶのにはちょうどいいな、と
いつも傍らに放って置いてある。
中学一年のクリスマスに
初めて親に買ってもらったクラシック(ガット)ギターと
その翌年、小遣いを貯めて買ったフォークギターだ。
でも、この2本のギターこそ、
今から40年以上も前に購入したモノ(物)で、
考えてみたら、
僕の生きてきた五十年以上の大半を、
いつも、どんな時も僕に寄り添うように
傍らに居たモノ(物)だ。
以来、何本かのギター(エレキギターなど)を
買っては売り、売っては買って、
何となくいま手元にある
ほかの(2本以外の)ギターは
そんなに長い付き合いのモノ(物)ではない。
改めて、こうして古いギターを手に取り
眺めていると、妙に愛おしくなるから不思議だ。
きっと、この質問の回答は
次々と消費していく時代にあって、
そうした長い付き合いのあるモノ(物)への
愛情確認だったのかもしれない。
―さて、今日から11月。
早いもので、今年もあと二カ月です。
急に寒くなりましたが、
お風邪などひかぬよう、ご自愛ください。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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