「無言館」から善光寺へ -1 |
今年もあと一ヵ月と迫った11月下旬某日、
早朝から長野県へ向かった。
大宮駅07:18発JR新幹線あさま601号で
まずは上田駅へ。
大宮を出る頃の天気は晴天だったが、
途中軽井沢あたりで雪がちらついたので、
この季節に来たことを少し後悔したが、
上田駅に着くと、周辺に多少雪が見られるものの
全くそのことによる影響はなかった。
改札口で、長野在住の友人二人が出迎えてくれた。
久しぶりの再会だ。
今回の長野行きの第一の目的は、
出迎えてくれた彼らに会うこと。
そして、もうひとつは、予てから行きたかった
上田市にある
戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪れることだ。
二年以上前のことだが、
当ブログで「無言館」について触れている。
※▼2014.3,5 「無言館」
http://taisyokan.exblog.jp/22189839/
以来、どうしても一度は訪れてみたかったのだ。
今回、彼らがその想いを実現させてくれるというので
ほとんど無計画のまま新幹線に飛び乗ったのだ。
そんな我がままな想いに付き合ってくれるために
彼らは長野市から約1時間車を飛ばし、
「無言館」の最寄り駅である上田駅まで
出迎えてくれたのだ。
上田駅からは車で30分ほどだが、
これは周辺に慣れたひとでなければ
すんなりとは行き着けない。
思ったより山の上だったのには驚いた。
さすがにこの季節に訪れるひとは少ない。
12月に入れば来春3月までは閉館となる
この時期に訪れるというのも無謀といえよう。
ましてや、数日前に例年より早い雪が降ったばかりなのに。
写真では見慣れた美術館の外観だが
いま目の前に現実のものとして在る、
それだけで
まるで子どものように気持ちが踊りはじめた。
素っ気ないほどの
小さな扉をゆっくり開けて中へ入る。
コンクリート打ちっぱなしの館内は
ひんやりとして冷たい。
しかし、大きくもなく、
かといって小さくもない館内は、
初めて入る者にも心地良さを与える、
そんな空間が広がっていた。
そして、いよいよ壁に掛けられた
戦没画学生たちの絵画を順番に眺めていく。
その1枚1枚に
彼らの息づかいが確かにあり、
その画布に塗り込められた“無言”の言葉が
重い口を開くように話かけてくる。
画学生らしい想いが
わずか数行の解説文にも表れていた。
「あと5分、あと7分描かせて欲しい」、
「帰ったら、必ず続きは描きます」などと
言葉少なめだが、
彼らはそのひとことを言い残し、戦場に散っていった。
そうなのだ、学生とはいえ
画家としての覚悟を持った瞬間から
作品の完成へ向けて最後のひと筆、
納得のできるひと筆まではカンヴァスに向かっていたい。
だから、それが断たれたときの悔しさ、空しさ・・・
これは想像を絶する思いだ。
彼らの絵と共に
多くの遺品も残され、展示されている。
そのひとつひとつにも
彼らが確かに<生きて>いたという時間が沁み込んでいる。
館内の彼らの全てをじっくり観て回るには、
時間もさることながら
精神的にもよほど強靭なものが必要だ。
なぜなら、
彼らの“無言”の語りかけに
安易な気持ちで接しようものなら
容赦なく押しつぶされるからだ。
もともと、絵画など美術の範疇に収まる作品は
言葉などで語るべきものではないと思っている。
だからこその“無言”館なのかもしれない。
ぜひ、一度機会があれば訪れて欲しい美術館のひとつだ。
その後、近隣にある「信濃デッサン館」などを回り、
午後には長野市へ向かうのだが、
これは、また後日に・・・。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、 小さな旅さんでした。
▼大正浪漫夢通りサイト
http://www.koedo.com/index.html