野球観戦から思うこと~ある初老のたわ言 |
個人的なスポーツの好みでいえば、
野球が小さい頃から大好きで
十代までは自分でもいわゆる草野球を楽しんだ。
でも、社会人になり、年齢を重ねると
第一に体力的な問題から
野球はもっぱら観戦のみになる。
これがまた都合のよいことに
夏場になると仲間たちと野球場に出かけ、
贔屓のチームを応援しながら
その一喜一憂にビールの量が増える。
勝っても、負けてもその量だけは変わらないのが
なんとも不思議なのだが。
つい先日も贔屓のチームを応援するため
(否、ビールを飲むためか~笑)、
野球場に出かけた。
応援する熱量も、ビールの量も
若い頃とさほど変わらないのに、
あきらかに変わったことがあるのに気づいた。
それは、年齢を重ねるたびに
応援する選手と自分との“距離感”というか、
“関係”というか・・・
つまり、こういうことだ。
自分が十代の頃の選手たちは当然のごとく皆おとなであり、
尊敬と憧れをもって眺め、
自分が二十代に入ると同世代の選手も多いせいか
自ずと応援する熱もヒートアップする。
そして自分が三十代になった頃、
同世代だった選手らも中堅と呼ばれ、
まるで自分が会社のなかで悪戦苦闘する姿と重なり、
「なにクソ!まだまだ」と
これまた応援にも力が入る。
ところが自分も四十代を迎えると、
長年応援してきた選手らの大半は引退し、
コーチなどとして野球界に残れれば万々歳!
しかし、ほとんどの選手らは転職を余儀なくされ
新しい世界へと姿を消していく。
これまた自分の立場と重なり
妙に寂寥感が漂うのだ。
その分、自分の会社での部下と変わらない年齢の
新しい世代の選手らがチームを動かし、
みるみるチームカラ―を塗り替えていく。
そして、自分が五十代も過ぎ、ここに至っては
チーム内でベテランと呼ばれる選手でさえ、
下手をすれば自分の息子らの年齢くらいで、
新人の若い連中などは
孫とまではいわないが、それに近い者たちといえる。
これは、自分の好きな野球に限らず、
どんなスポーツでも言えることで、
何十年と変わらずに応援はしてきたものの、
自分の年齢からその選手らを見ると、
随分見方が変わったことに気づく。
あと十年、がんばって二十年、
まだ生きていて(苦笑)野球観戦に赴くことがあれば、
きっと贔屓チーム一筋、頑固に応援し、
ビールを飲み(量は落ちるだろうが)、
完全に孫、ひ孫世代の選手らを
好々爺然として見守るだろう。
ま、性格上、時にヒートアップし
周囲の人間を困らせるかもしれないが。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、野球“小僧”さんでした。
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