日本のJAZZ草創期 |
明治45(1912)年7月20日(推定)、
横浜港から東洋汽船の地洋丸が
サンフランシスコに向かって出航した。
その船でサロン・ミュージックを演奏するため、
東洋音楽学校(現・東京音大)を出たミュージシャンが
乗り込んだ。
――――『日本のジャズ史 戦前・戦後』
スイング・ジャーナル社発行より
同書によれば、
この出航こそが「日本のジャズの原点」となるのだが、
この時のバンドメンバーだったという5人の若者たちは、
それがいかなる船出になるかなど
予想もしていなかったに違いない。
物事の始まりというのは、
えてしてそういうものだ。
この本が出版されたのは
今から40年ほど前で
私がこの本に出会ったのは
先にも記したが、某大学に通っていた頃、
吉祥寺の喫茶店で
JAZZを聴き始めたときだから、
出版からは2年ほど経っていた。
元来、のめり込むと、
とことんやりたくなる性質なので、
あれやこれやと関連資料まで買いあさる。
そのときの一冊であり、
これも、後に「大正」を追いかけたときに
役立ったものだ。
なにしろ、彼らが就航して十日ほどで
時代は「大正」へと変わるのだから。
それはさておき、
こうして大正期に
JAZZの草創期を迎え
やがて日本で開花していくのだ。
詳しくは、本書をお読みいだたくといい。
またしても勝手な妄想だが
川越で初めてJAZZを流した店はどこだろうか?
その店主や聴衆はどんなひとだったろうか?
そんなことを考えただけで
楽しい気分になる。
余談だが、定かな記憶ではない、と先にお断りしておく。
当店近くの蓮馨寺・本堂を正面に見て、
右手に延びる細い道があるが
その道の途中にレコード店はなかったろうか?
かなり昔の話だが、たまたまそこを通りかかったときに、
その店頭のウインドウでJAZZのレコードだったのか、
ポスターだったかを拝見した覚えがある。
まずそんなところにレコード店があることにも驚いた。
当時、レコードを買うといえば、丸広百貨店内の山野楽器、
または栗原楽器、やなせ楽器(と言ったか?)が主流だったはず。
どなたか、この曖昧な記憶を修正していただけると有難い。
脱線ついでに、余談の余談ながら・・・
横浜にJAZZ喫茶の草分けとして存在し
ナベサダ、ヒノテルなど世界を代表するミュージシャンが
通ったという「ちぐさ」というお店をご存じだろうか?
実は、30年ほど前、
まだ20歳代半ばの若僧だった私が
生意気にも伝説の同店マスター故・吉田氏に
たった一度だけインタビューをさせて頂いたことがある。
しかも、初めてのインタビュー記事を任されてのこと。
今思えば、なんと無謀な企画だったことか。
結果は、当然のように大失敗・・・いや大失態で
とうとう、1時間予定していた時間も
わずか20分たらずで打ち切られてしまった。
私がその後、同様の仕事をなんとかこなしているのも
あの苦い経験があったからかもしれない。
今なら、1時間くらいは、楽しく談笑させていただけるだろ。
赤面しつつも、懐かしい思い出のひとつだ。
この話は、また別の機会にでも。
長くなったが
「大正」とは、かくのごとき
おもしろい時代なのだ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は月曜日・・・あ~あ、と憂欝な気分の方も
多いでしょうが、まあ、珈琲飲んでボチボチやりましょう!