駅舎 |
「駅」では素っ気ない、
「Staion」では情緒がないような。
そこで、私は個人的に
鉄道の駅すべてを総称し、
「駅舎」と呼んでいる。
本来は建物そのものを指すが、
どこか懐かしい響きがあって
この呼び方が理屈じゃなく好きなのだ。
だから、いまどこへ行っても当たり前のようにある
近代的な装いをしたステージョン・ビルという
複合施設と合体した駅を「駅舎」とは呼びたくない。
そういえば、かつての川越駅は、
まさに「駅舎」と呼ぶにふさわしいものだった。
少なくとも、80年代の初めころまでは。
気づいたら、これという特長のない
ありふれた建物に変わっていた。
時代とともに変貌せざるを得ないのはわかる。
しかし、
もう少し、川越という土地を意識したデザインというか
設計にはならなかったのか。
“小江戸”を観光として打ち出すなら、
まず出迎える駅からそれを意識させなければ
結局中途半端になる。
もっとも
今更、私が言うことではないけれど、
それだけは残念でならない。
どうせ改修工事をやるなら、多少不便さはあっても
前のような木造の川越駅を活かした
そんな建築物にして欲しかった。
話は逸れるが、
東京駅が開業100周年を迎えるという。
昨年、大々的な駅舎の改修工事も終わり、
連日ニュースなどでそれを報じていたので
ご存じの方は多いと思う。
その歴史を、年表で簡単に記せば・・・
明治21年8月16日、
新橋と上野を結ぶ高架鉄道の敷設
および中央停車場の建設が決まる。
明治36年12月、 駅舎の設計を辰野金吾に依頼する。
そして明治41年、建設工事を本格的に始め、
大正3年、12月20日に開業する。
余談だが、
東京ステーションホテルは
翌大正4年11月2日に丸の内駅舎内に開業している。
ミーハーな私は、
一度でいいから宿泊したいと思っているのだが(笑)
さて・・・。
仕事柄、東京駅は長年利用してきた駅のひとつだ。
しかし、社会人になりたての頃は
会社が銀座にあったため、
八重洲口からの利用ばかりだったし
いまは山手線かメトロで東京駅へ入ることが多く
やはり丸の内側へはめったに行くことがない。
なので、
昨年、わざわざ丸の内側に出て、
完成したその駅舎を眺めた。
大正3年、周囲に背の高いビル群がなかった当時、
この駅舎はどんな見え方をしたのだろう?
一度でいいから見てみたいものだと思った。
逆に、駅舎から皇居の方を眺め、
100年前は、どのように皇居が見えていたのだろうか
そんな想像をしてみたが、
周囲に林立するビル群が、あっさりそれを遮ってしまった。
100年前を想像するには、
あまりにも周囲が変わりすぎた。
さて、話を戻し、川越駅である。
かつては、駅前にもひとの“暮らし”があった。
いま、アトレを抜け、
丸広百貨店の方向に延びる狭い商店街にも
子どものころに通ったお菓子屋、
同級生の親父さんが営んでいた写真屋、
夕方母親と買い物に出た八百屋、魚屋、肉屋はもちろん、
桶店(職人さんが店先で桶を作っていたっけ)や
よく出入りした知り合いの中華屋さんも並んでいた。
そして、そんな中だからこそ生まれる
人々の物語があった。
「駅舎」と呼ぶにふさわしい
駅の佇まいが消えたと同時に
それらは、今、みなきれいさっぱりと消え、
“暮らし”の匂いもしない、ただの
賑やかな店が並ぶだけの通りに変わった。
きっと、年寄りの郷愁というものかもしれないが
“暮らし”の消えたところに
ひとが、ひととして住めないような気がする。
大正夢通り・・・
ここだけは変わらず
ひとの“暮らし”が匂う通りでいて欲しい。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日も寒さは厳しいでしょうが、風邪などひかぬように。