深夜放送 |
昨年の今頃
ちょっとしたことで二週間余り
某病院に入院していたことがある。
病院生活といっても
久しぶりに休養ができるなぁ~
と呑気に思っていたし
実際にも動けないわけではなかったので
不自由なこともなかった。
朝から規則正しい生活で
黙っていても食事は出てくるし
目の前のテレビも昔と違い
やや大きい画面で、色も鮮やかときてる。
あとは言われた通り
ベッドの上で一日過ごせば事は足りる。
ただ、問題は夜、とくに深夜という時間帯だ。
なにしろ消灯時間が早い。
夜9時になると一斉に暗くなり、
6人部屋なので
ひとりだけテレビを点けているわけにもいかない。
音は消せても
画面から放たれる鮮やかな光は
薄いカーテンを通して病室内に漏れる。
これはさすがにまずいだろう。
そこで、ラジオを聴くことにした。
よほどやることがなくなったときのために
と簡易なラジオを一台持参していた。
ところが、聴きはじめたら、
なんともいえず
しばらく忘れていた感覚がよみがえった。
なにか新鮮で
ン十年も前、まだ十代だった
学生の頃を思い出させてくれたのだ。
なぜかそうなると
消灯以降、深夜眠りにつくまでの
ラジオの音が毎日の楽しみになった。
思い起こせば
「深夜放送」という言葉が全盛だったころ
ちょうど大人への入り口あたりを
ウロウロしていた。
私と同世代の者なら誰にも経験があるだろう。
深夜、家族が寝静まったころに
ひとりラジオにかじりつく日々。
まだ携帯なんていう
安易に誰とでも、24時間休みなく
つながっていられるような機器がなかった時代だ。
初めて買ってもらったラジオは
そんなにりっぱなものではなかったが
机の上では唯一の先端機器で、
誰かの歌ではないが
そこから流れてくる音楽で
世界中とつながっているような気にさえなった。
DJと呼ばれたひとたちも
いまのアイドル並みの人気があった。
ラジオ局のアナウンサーも居たが、
憧れたミュージシャンなども多く担当し
ラジオならではの話しを聴かせてくれた。
好きな女の子と
翌日に、昨夜聴いたラジオの話しなどすると
まるで一緒に同じ場所で聴いていたような
そんな気分を味わったりしたものだ(笑)。
そう、今では信じられないような
遠い、遠い日のこと。
いまでも、時々深夜に目覚めると
病院で聴いた簡易なラジオに耳をつける。
良いことばかりの、あの頃ではないが
悪い思い出も含め
すべてが懐かしい遠い日のあの夜に
一瞬で戻れるのだ。
店主と出会ったのも
確かに、そんな夜を重ねていた
あの頃だったよな・・・。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は日曜日、暖かな春も近いようです。
ほろ苦い珈琲の味は、あの頃の思い出を誘います。