我が漱石先生のこと |
夏目漱石の代表作のひとつでもある
『こころ』が、
この4月に新聞連載から100年目を迎えるという。
大正3(1914)年4月20日から
朝日新聞紙上に連載を開始し、
全110回にわたって連載された。
この『こころ』は
確か学生時代に
学校の課題で読まされたような気がする。
当初は“読まされて”いる感覚だったが
読み進むうちに、
この小説世界にハマっていった。
結末に用意された物語は
明治天皇の崩御と乃木大将の殉死、
そして先生の自殺で終わる。
漱石自身も明治、大正を生きた文豪だ。
『こころ』を発表した後、
『草枕』、
(※これも好きな作品だが、それはまた別の機会に)
『明暗』を執筆半ばで
大正5年12月9日、49年の人生を閉じた。
おっと失礼・・・
こんな常識的なことは
なにも私が書くまでのことではなかった。
私が漱石の小説世界にハマったのは
書籍からばかりではない。
これもご存じのことと思うが
映像化(映画、テレビ)されたものも多く
『坊っちゃん』などは映画、テレビで
いったいどれくらのリメイク版があるのか。
ほかにも
『吾輩は猫である』、『それから』、『三四郎』、『夢十夜』
とあり、もちろん、これに
『こころ』も加わる。
私の知る限り『こころ』の映画化は2度
監督は別にあるはずだ。
いずれも一流の監督や有名な役者さんたちが
この漱石世界を構築している。
また、これに舞台なども加えたら、
そうとうの数になる。
井上ひさし原作の
『吾輩は漱石である』の舞台などは
評伝として面白い。
そんなことで、映像を観て、ついつい
漱石の原作が気になり
著作物を手に取りはじめ
いつしか漱石の小説世界の慮になった。
余談だが、これも漱石の代表作
『虞美人草』のなかに、珈琲を飲むくだりがある。
「小説なら、これが縁になって事件が発展する所だね
これだけでまあ無事らしいから・・・」
と云ったなり甲野さんはコフヒーをぐいと飲む。
<中略>
「そう」と甲野さんは、左の手で顎を支えながら、
右に持ったコフヒー茶碗を鼻の先に据えたままぼんやり向うを見ている。
※新潮文庫・夏目漱石『虞美人草』より
こんな珈琲の描写は
そのまま現代の小説にも使えるのではないか。
それこそ、100年以上も前の小説だというのに。
漱石はイギリス留学などを経験しているし、
明治・大正期は
日本でも珈琲がカフェで飲める時代だから
ごく普通に小説内に珈琲が登場しても不思議ではない。
イギリス留学で話はまたしても逸れるが
島田荘司という作家の作品で
(※島田荘司も好きな作家だが、また別の機会に)
『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』というのがあり、
これは奇想天外な推理小説だ。
何しろ、倫敦留学中の漱石と
かの名探偵シャーロック・ホームズが
難事件を解決するというのだ。
興味のある方は、これも漱石の番外編として
一読してみてはどうだろうか。
脱線しはじめると止まらないのが
私の悪いクセだが、
こと、漱石の話しになると
さらに拍車がかかるので、
しまりのない終わり方だが、つづきは
また次回に譲ることにする。
つまり、そんなワケで
漱石の著書がいつのまにか書棚に
増えてしまった。
学生時代、心の底から“先生”と呼べる
恩師には出会えなかったが
100年以上前に生きた漱石は
心底敬意を表し、漱石“先生”と呼んでいる。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は、漱石先生の作品など
珈琲を飲みながら読んでみませんか。
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