お客様の数だけ |
「大正館」の珈琲の味と香りに、
お客様の数だけ想い出がある。
A美さんの想い出・・・
私は、いつも
同じ時間に店の前を通る。
窓側の席に座るあなたは、
いつも変わることなく
新聞に目を落とし
珈琲を飲んでいる。
目の前を通り抜ける私のことなど
気に止める素振りさえない。
あるとき、
いつもより少し遅れて
店の前を通りかけたら
あなたは、窓の外を不安そうに眺め
私に気づくと
バツの悪そうな顔で
軽く会釈をしてくれた。
もしかして、いつも
ほんとは見ていたの?
B子さんの想い出・・・
ふらっと立ち寄ったこの店だけど
平日の午後ということもあり
少し手持無沙汰な店主をつかまえ
身の上話を始めた私。
気づいたら、
とうに閉店の時間を過ぎていた。
カップの底に少しだけ珈琲を残したまま
慌てて立ち上がろうとしたら、
店主は穏やかな口調で
「最後まで、ゆっくりお飲みください」
と言いながら
入口の扉にかけた「営業中」の札を下ろした。
店内の灯りが
やけに優しく輝いていた。
それ以来、
私は、常連さんになりました。
C彦さんの想い出・・・
この店で、父と母は出会った。
それから、父と母は結婚し、
僕が生まれた。
そして、17歳の僕は、
この店で彼女と出会った。
D斗さんの想い出
最初の彼女と待ち合わせたのは、
店奥のテーブルだった。
二番目の彼女に振られたのは、
夢通りの見渡せる窓側の席。
三人目の彼女に
プロポーズをしたのは、
カウンター席の真中だった。
その日、
店主が僕らの立会人になった。
E雄さんの想い出・・・
近隣に住む、
高校時代の友人ら15人ばかりが集まった。
店は土曜日の夕方から貸し切りに。
友人が、たったひとり
念願だった海外留学に行くので
その壮行会を開いたのだ。
未成年の僕らは、
珈琲、紅茶と
サンドイッチやピザを囲んだ。
誰もが、その友人と過ごした
学生時代の話題に盛り上がり
最後に彼が締めのあいさつをはじめた。
誰もが感動の言葉を期待したが
「マスター!この焼きサンド、好きでした」
と、店主へのお別れの言葉で終わった。
ま、いいか・・・
またいつか、ここで、会おう。
F代さんの想い出・・・
久しぶりに川越に帰り、
久しぶりに「大正館」さんに行きました。
店の端の目立たぬテーブル席で
好きな珈琲を飲んでいると
突然、別れた元夫が入ってきました。
胸が高鳴りました。
離婚して10年です。
理由はいろいろありますが、
いまとなっては、これという大きな理由に
思い至らないのは不思議です。
勿論、だからって気持ちはとうに離れ
一緒に居たのが嘘のようでもあり・・・。
そんなことを考えていたら、
彼が私に気づき、
こちらの席に歩み寄ってきました。
「ひさしぶり、元気だった?」
彼のあいさつの言葉は、なにひとつ変わりません。
「うん」と答えたものの、
ほんとは、あれからいろいろあって・・・
と話したい気もしましたが
笑って、「そちらは?」と聞き返しました。
「相変わらず」と彼は答えると、
くるっと私に背を向けて
カウンター席に座りました。
店主とあれこれ会話をはじめました。
ときおり、私の方へ視線を向けていましたが
私はすでに聞く耳を失ったように
なにひとつ聞えませんでした。
そんなふたりを見ながら、
私は立ちあがり、カウンターに歩くと
彼の肩を軽くポンっと叩き、
「じゃ、またね(また、っていつ?)」と
言い、支払いを済ませて店を後にしました。
次に、また川越に帰ったら・・・
と一瞬、そんなことを空想しましたが、
すぐに、考えるのを止めました。
「大正館」の珈琲の味と香りに、
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
明日は、どんな想い出が生まれるのでしょうか?
でも、珈琲だけは100年経っても同じ味と香りを。
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