川越の映画館 |
昨日の当ブログで
私が初めてゴジラ映画を観た劇場は、
旧・川越ホームラン劇場だったと記したが
その後、興味深い資料をみつけ、
観た劇場が誤りだったことがわかった。
その資料とは、「川越市立博物館」で
年3回発行する『博物館だより』だ。
その既刊号だが
2003(平成15)年に発行された
第40号に
「川越の映画館の変遷」と題された
文字通り
川越の劇場や映画館の変遷が掲載されていた。
これは、私も個人的に非常に興味のあるもので
今回ばかりは(笑)、
じっくり拝読させて頂いた。
それによると、
明治初期に蓮馨寺境内に建てられた
芝居小屋「松連座」から始まるとある。
しかし、明治26年3月の川越大火により
残念なことに焼失してしまったらしい。
そこで、その翌年6月に
川越町の有志50余名が発起人となり
新しく「川越座」を建設するのだが、
これが今も現存する「鶴川座」だ。
大正時代に入ると
活動写真、
つまり映画の放映も行っていたとある。
また、明治38年に
川越町の有志が合同出資して本町(現・元町)に
寄席の「力亭」を建設するが、
明治40年には「おいで館」と改めて興行を開始。
これが、現在の「川越スカラ座」の前身だとか。
上記以外にも芝居小屋がこの時期、
川越には誕生していたことを知った。
時代は流れ、昭和の大戦後、
映画製作が盛んになるにつれて
新しい映画館がさらに誕生した。
ゴジラ映画を観た(と昨日記した)
「川越ホームラン劇場」も
戦後の昭和25年に開設されている。
これより昭和30年代までは
日本映画の最盛期と重なり、
昭和31年には川越駅前に
当時の最新設備を備えた
「川越映画劇場」が誕生。
(※実は、ここで上述した映画を
父親と観た~父親にも確認したので間違いない)
さらに同年、
現在の蔵造りの町並みにも
蔵造り建物を利用した
「メトロ劇場」などが建設されたという。
この時期、川越市内に7館もの
映画館があったというのには
さすがに驚いたが、
昭和40年前後、次々と閉館したという事実に
一抹の寂しさを覚えた。
少なくとも
私は「川越ホームラン」、「川越日活(旧・鶴川座)」
今はかろうじて興行している
「川越スカラ座」の三館は
鮮明な記憶として残っている。
勝手な私見だが、
「映画館」の無い(消えた)街に
“文化”は育たない、と思っている。
▼川越市立博物館「博物館だより」一覧
http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/ippan/dayori.html
▼川越スカラ座
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
▼大正浪漫夢通りサイト
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