彼女の涙と珈琲の味 |
つまらない話を思い出した。
喫茶店で
女のひとに泣かれたことがある。
むかしのことだけど、
3回ほど、三人の女性に。
ひとり目は
二十代のはじめ頃。
川越の、いまはもうその店も、
その店のあった場所もないけれど、
むかしの川越駅の近くの小さなビルの
2階にあった喫茶店だ。
4年ほど付き合っていて、
彼女は一緒になりたい、と言い、
僕も、頼りないけれど、
一緒に居たいと思った。
だけど、ささいなことが重なり
僕は彼女に別れることを告げた。
もっともらしい理由なんて、実はなかった。
彼女は、目の前の珈琲カップに指をかけたまま
ただ黙って、じっとうつむいていた。
そのうちに、気づくと
その指先や、手のこうに
彼女の涙が落ちはじめた。
僕は、情けないことに
周囲のことが気になった。
彼女の気持ちより、周囲の状況や
ほかの客の視線が。
彼女はこらえきれなくなったのか
バックからハンカチを取り出し
口元を押さえると
そのまま立ち上がり
喫茶店の入り口へ走り、
勢いよく扉を開けると
狭い階段を駆け下りて行った。
僕は、ひとり残され、
しばらくして
それこそ周囲を気にしながら、
ゆっくりと伝票をつかんで立ち上がった。
その時の珈琲の味はとても苦かった。
その次は、
三十代に入ったばかりの頃だ。
新宿の古く、気に入っていた喫茶店でのこと。
仕事中に、
友人の奥さんから会社の僕あてに電話が入った。
友人には内緒で、今夜会いたいという。
どうしても、聞いて欲しいことがあるという。
僕は、一瞬ためらったが、
なんとなく察しはついていたので
会社帰りに寄れる、その喫茶店を指定した。
案の定、彼女の話は
その友人の、浮気のことだった。
実は、僕は友人から直接聞かされていた。
だから、言えること、言えないことを
慎重に選びながら彼女の質問に答えた。
そのうち、彼女は感きわまったのか
声を震わせながら、
大粒の涙を落した。
またしても、周囲が気になった。
今度ばかりは、僕自身とは無関係ですよ!
と周りの客に説明しようかとさえ思った。
僕は、うまくなぐさめる言葉がみつからず
煙草を何本も立て続けに吸ったりして、
動揺を隠せずに居た。
そのうち、彼女は落ち着きを取り戻し
「ごめんね、こんなことを」と言いながら
笑顔を僕に向けてくれた。
そのときの彼女の美しさといったら・・・
もし、彼女が人妻じゃなけりゃ、なんて。
その後、彼女は友人の子を身ごもり、
二人で別の街に引っ越していった。
その時の珈琲の味は、
ガブ飲みし過ぎて覚えていない。
三度目は・・・
これはあまりにも個人的なことで、
昔のこととはいえ、
それほど遠くないむかしのことだし
まだ誰かに語るには早いような気もするので
止めておこう。
そう、その時は周囲も気にならず、
珈琲の味も、とびきり旨かったことだけは
記しておこう。
本日も、ご来店ありがとうございました。
マスターに代わり、お礼申し上げます。
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