カチューシャの唄 |
“カチューシャ 外しながら~♪”
の「カチューシャ」ではない(失礼)。
深夜、ラジオから流れてきた古い歌だ。
それは、1914(大正3)年に作られた
『カチューシャの唄』。
作詞は島村抱月、相馬御風
作曲中山晋平、歌は松井須磨子だ。
曲を聴けば、ああ、聴いたことあるな、
という方もいるでしょう。
でも、正直なところ
僕自身、あまり偉そうに誰かに語るほど
知識はないのだけれど、
それでもちょっと興味をそそられる
三人の名前があるので、
敢えて記してみた。
ひとりは、島村抱月(明治4年~大正7年)。
小説家、演出家、劇作家など、
いくつかの顔を持つひとで、
日本の新劇運動をはじめた、
いわば演劇活動の先駆者。
で、次のひとりは
松井須磨子(明治19年~大正8年)。
日本の新劇女優であり、
このタイトル『カチューシャの唄』を歌い
当時で2万枚というヒットを飛ばした
日本初の“歌う女優”だ。
さて、三人目を記す前に、
僕がもっとも興味を持ったのが、
先に挙げた抱月と、この須磨子は
今でいう、「不倫」騒ぎを起こし、
当時スキャンダルとなったことだ。
大正2年、看板女優であった須磨子に
妻子ある身の抱月が・・・となれば
いまなら当然ワイドショーの餌食になり
連日カメラに追われるだろう。
それにしても、
当時のことを考えれば
いま以上に騒がれたのではないだろうか。
まあ、それで、
二人は劇団・芸術座を立ち上げるのだけれど
翌大正3年に、
抱月脚色、須磨子出演の舞台で
劇中歌として歌われたのが
「カチューシャの唄」だった。
そして、大正7年、
抱月がスペイン風邪にかかり亡くなると
その2カ月後に
彼の後を追うように須磨子は自殺してしまう。
ここで、もう一度記すけれど
大正という時代を考えたら
なんともスキャンダラスな出来事だったに違いない。
余談だけれど
NHKの朝ドラ「花子とアン」
の主役となった村岡花子や、
腹心の友白蓮など、
大正期あたりから、女性の活躍が目立つ。
例えば、平塚雷鳥、与謝野晶子など
名前を聞けば、頷ける。
明治までの男中心の世のなかが、
いかに愚かしいものだったか、
ハタと気づいた女性たちが
一斉に立ち上がった時代だったんじゃないか。
さて、話を戻して、もうひとりは
作曲家の中山晋平(明治20年~昭和27年)。
この『カチューシャの唄』に次いで、
翌年に、やはり劇中歌として作曲した
『ゴンドラの唄』もヒットした。
ということで、この続きは、またいつか・・・。
本日も、ご来店ありがとうございました。
マスターに代わり、お礼申し上げます。
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