破壊せよ、とアイラーは言った |
中上健次の本が読みたくなる。
もう彼が亡くなって何年経つだろう。
生前は、あの強靭で、作家らしからぬ巨漢を
ゆさゆさと揺らし、
黒の革ジャンとジーンズで
武骨な男を通していた。
それが、亡くなる少し前、
信じられないくらい弱り果てた身体を某紙に曝し
最後のメッセージを掲載したかと思ったら
すぐさま逝ってしまった。
癌だった。
亨年46、1992年の、夏のことだ。
ここにも、ひとり若すぎる死を迎えた作家が居た。
彼の全ての作品を読んだわけではないので
けして誇れるような読者ではない。
なので、彼を愛してやまない真の読者からは
ここで、彼のことを語るな!と叱られるかもしれない。
それでも、彼から少なからず影響を受けた者として
少しだけ、彼のことを語らせてもらいたい。
彼の、特にエッセイや随筆の類が好きだ。
先に書いたように、不意に本棚から
彼の本を抜き出し、
数ページ、時には数十ページに及び
読み返す。
『破壊せよ、とアイラーは言った』も
その著作の一つだ。
まずタイトルから言って、
魅力的ではないか。
暴力的で、スピード感があり、
そのくせ何か切なく、優しい。
この本から
アメリカのジャズ・サックス奏者
アルバート・アイラー(Albert Ayler 1936-1970)
を知った。
その手の評論家氏によれば、
1960年代のフリ―ジャズを語れば
まず、彼から語るべきだろう、と言っている。
僕には、それはわからないが、
フリージャズを聴き始めたのは
彼のアルバムからだから、
僕にとって言えば、
まさに彼からフリージャズは始まる。
もっとも、僕が中上健次の本で知ったのは
1979年・・・大学生の時で、
A.アイラーが亡くなって十年近く経っていたから
リアルタイムではないので
当時、彼がどれほどのプレイヤーだったかは
知らない。
そして、中上といえば、
ジャズ喫茶に、苦い珈琲。
そこで、一日中、煙草の煙をくゆらせ
原稿用紙ではなく、
細かな枡目がぎっしり埋まった伝票のような類に
やはり細かな文字をびっしり並べていたという。
あの巨体をまるめて
テーブルの上の細かな枡目を埋めていく彼が
なんとも滑稽な様でありながら、
どこか憎めない。
あんな作家、やはり、この時代には居ない。
もし生きていたら・・・
いや、それは言うまい。
ある時代を疾走していったから
彼は、いまでも輝いているのかもしれないのだから。
久しぶりに、今夜はアイラーを聴き、
中上の本を読みふけるのも悪くないな。
本日も、ご来店ありがとうございました。
マスターに代わり、お礼申し上げます。
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