写 楽 |
このブログには再三登場しているので
すっかり常連でもある
役者の服部靖司が
「これ、演ってみたいンですよね」
と言いながら見せてくれた本(戯曲)を
先日借りて読んでみた。
戯曲の内容はさておき、
その物語の背景に、あの浮世絵で有名な
「(東洲斎)写楽」の存在があって、
久しぶりに写楽のことを考えた。
“浮世絵”のことは、
もうかなり昔になるけれど
結構まとめて観たり、
その手の本などを随分読み漁った。
発端となったのは、
ゴッホ、モネ、マネ、ドガ・・・
と言った西洋の画家の絵画を真剣に観はじめてからだ。
ご存知の通り、“浮世絵”は
日本の文化(藝術)でありながら、
かなりの数が海外に流出している。
そういう僕さえも、
海外の画家から逆輸入したことになるので、
あまり大きな声で“浮世絵”を語る資格は
ないかもしれない。
それでも、その魅力は十分理解できた、と思っている。
もっとも、広重、北斎、歌麿、写楽といった、
誰でも知っている絵師の作品ばかりを観てのこと。
なかでも、広重や北斎の風景画には
かなり魅せられた。
でも、実は、写楽の役者絵などには
それほど興味を抱けなかったのだ。
ただ一点、その「存在」については、
大いに興味をもった。
つまり、俗にいう
「写楽とは何者か?」という一点だ。
そこで、浮世絵関連の書籍とは別に、
その謎を探る書籍に目を通すようになった。
まるでミステリー小説でも読むような感じで
多くの研究家や作家などが書いた
写楽本を手に取った。
ところが単純な僕は
それぞれの主張に、いちいち納得し、
そのたびに、そうか、これが写楽か、
などと頷いたものだから
結局のところ、誰の説が真実かはわからず仕舞いで
そのうち写楽からも、
浮世絵からも興味が失せていった。
昨今では、その正体は、阿波の能役者
「斎藤十郎兵衛」という説に
落ち着いているようだけど、
それだって、それを“絶対”と証明するものさえ
残っていないのだし、
それに関わる謎の全てが明かされたわけではない。
まあ、例え、それが真実としても
謎が多ければ、多いほど
その絵の価値以上に、
後世まで「写楽」は語り継がれていくのかもしれない。
意外や、当の本人は、
そんな探偵気取りの連中に
薄笑いでこう呟いているかも
「へっ、ちゃらくせ~や!」なんて。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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