蔵書価値「0円」 |
不要になった本をまとめて処分した。
まあ、正確に言うと、“不要”になった
というより、
ここ数年手に取ることもなく
ただただ本棚で眠るだけになってしまった本、
また(情けないことに)
既に所有しているにも関わらず
記憶違いで、また買ってしまった本、
さらには承知してのことだけれど
地方への移動中に読むために
わざわざ文庫として買い直してしまった本などだ。
なかには、本当に不要な本もないわけではない。
ある仕事の資料として、
その時限りの必要性に迫られて入手した本などだが、
それでも、その時は巻頭から巻末まで熟読し、
十分に自分の仕事を支えてくれたと思えば
それなりに愛着もでてくる。
簡単にいえば、そんな本たちだけれど、
処分する一番の要因は、
それらを永続的に保管するだけの
スペースがないということだ。
余談だけれど、
例えば、極端にいえば
ミュージカル映画の名作
『マイ・フェア・レディ』(1964年製作)
に登場するヒギンズ教授の部屋のように
1階から2階に及ぶまで
壁一面、書籍がぎっしり詰まった家。
また、司馬遼太郎記念館に設けられた
「大書架」のような、膨大な蔵書の世界。
そうそう、雑誌やテレビで
見ただけだけれど
松岡正剛氏のISIS館「本楼」のような
建物が蔵書でできていかの如く
何万冊という書物に囲まれた空間。
どうも、昔から
そんな書籍の在り方に憧れている。
さて、話を戻すと、
今回は段ボール5箱分ほど処分をした。
(ほんとうは、もっと処分しないと
片付かないのだけれどね~苦笑)
そこで、どうせ処分するなら、
「古本買い取ります」と掲げる店に持ち込み
いくらかでもお金になれば、
と貧乏人の浅知恵で、
すぐさま持ち込んだのだけれど、
あまりにも低い査定金額に
ショックを受けた。
あくまで個人的意見(見方)だけれど
古本とはいえ、決して汚れや傷・破れなどもなく
どちらかといえば、綺麗な方だと思う。
しかも、なかには貴重な本だってあるはずだ。
にもかかわらず、二束三文の値が付けられた。
それでも、持ち返るワケにもゆかず、
査定のついた数百円を握りしめて帰宅した。
色々調べてみたら、
いくら状態が良くても、書籍の裏側に
バーコードの記載がないものは
一般的に値がつかないのだそうだ。
では、それ以前の古い物は?といえば、
基本的に対象となるのが
明治~昭和初期に発行されたような書籍で
しかも稀書、珍本といった類の本でなければ
やはり値がつかないらしい。
つまり、買い取り可能な本は
まだ新刊でも、巷で買えるような「古本」であり、
新刊では買えなくなった絶版物でも
「古書(稀覯本)」でなければ価値はない。
ということは、
僕の最も多読した時期(1960~1980)
に購入した、いま書棚で眠るほとんどの書籍は
世間相場でいえば、価値ゼロということになる。
それを思うと、なんとも複雑だけれど
考え方を変えれば、他人にはわからない、
俗世間などでは量れない
“自分だけの価値”があるといえば、
なんとも誇らしい気分になるものだ。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
▼大正浪漫夢通りサイト
http://www.koedo.com/index.html