スポコン |
先日、新聞広告で
妙な展覧会の告知を知った。
銀座のM百貨店で
この26日から来月7日まで開催されるという
『あしたのジョー+
エースをねらえ!+
アタックNo.1+
巨人の星=スポコン展!』だ。
どれも懐かしい漫画のタイトルが
ずらっと並び、
称して“スポコン”展。
確かに、いずれの作品も
1960年後半~1970年前半に
一世を風靡した作品ばかりだ。
ただ、当時小学生か
中学生だったせいか
よほどのことがない限り
「エースをねらえ!」と「アタックNo.1」
という女の子対象のものには馴染みがない。
もちろん、そのタイトルや
おおよその内容は知っている。
未読な者でも
それくらい有名だったということだ。
まあ、ほかにも挙げれば色々あったが、
それはまた別の話だ。
しかし、どんな背景のもとで
今更、“スコポン”なんだろうかと考えた。
開催趣旨が書かれていたので
それを読んでみたが、
だいたい、こういう企画展というのは
もっともらしい趣旨が述べられているものだ。
要は、どんなイベントであっても
冷静にいえば、
当たるか、当たらないか、のどちらかしかない。
当たれば、やはり!と頷くし、
はずせば・・・時期が早すぎた、などと
残念そうに(または悔しそうに)
言い訳を並べればいい。
個人的には、
えっ!?なんで、いま?というだけで
僕も当時は
確かに熱中した世代ではあるけれど
敢えて、いま観たい、というほどの思い入れはない。
そう言い放つわりに
『あしたのジョー』も
『巨人の星』も
いまだに全巻大事に持っている(苦笑)。
その原作者は同一人物だ。
ペンネームが異なるので
当時の僕は原作者も違うものと思っていた。
それが影響して、とは言い難いが
どちらも栄光の後に辿る主人公の結末は
どこか寂しい。
“哀愁”があるといえば、カッコよすぎるが、
物語のエンディング=主人公の終末のようで
少年時代の僕としては
ショックだった。
もっとも、人生なんて、そんなもんだよ
と早めに悟るのも良いのか。
ご承知と思うが,
『巨人の星』の終わりは、父子の戦いも終わり
野球界から姿を消す。
「エピローグ」とされた最終章は
いつしか、その名前(飛雄馬)さえも
世間が忘れはじめた頃
横浜のある教会でライバルだった友人
左門とお京さんとの挙式が行われている。
その様子を窓の外から見つめる飛雄馬。
そして、心のなかで
次の夢の星をめざしていこう、と決意し
後ろ姿で去っていくのだが、
当時の僕には
どうにも、次の夢があるようには思えなかった。
『あしたのジョー』に至っては
力石徹の死から先は、
なぜかオマケのように見えてしまい
最後はジョー自身が“真っ白”になっていく。
『あしたのジョー』は全20巻になるが
その力石が亡くなるのは第9巻で、
いわば半分以上がそれ以降のジョーを描いている。
そういえば、
1970年3月24日、
作家・寺山修司の呼びかけで、
文京区の講談社講堂において
なんと力石徹の葬儀が行われたのには驚いた。
考えてみれば、
『巨人の星』も『あしたのジョー』も
登場人物やその周囲の人たち以外は
すべてが現実の、
リアルタイムで活躍する実在の人物ばかりだった。
それに応じて、その世界で
実際に起きた内容が
すぐさま物語に反映されていた。
そのせいか、
フィクションでありながら
妙にノンフィクションの要素を強く感じた。
さて、そんな“スポコン”展。
どんな反響を呼ぶのでしょうか。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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