つながらない |
そう、多分だけれど
あの東日本大震災の後からか、
「つながろう」
「つながりたい」
「つなげたい」
と、やたら“つながる”ことを
強調してきたように思う。
誤解のないように言っておくけれど、
そんなまえふりをしても
それが悪いなどというような
批判めいたことを書くつもりはない。
僕自身、「つながる」ことは
すばらしいことだと思うし
人間、ひとりじゃ生きられないことも
さすがにこの歳になれば
十分に承知しているし、
「つながる」ことは当たり前のようにも
思っていたので、
敢えて言ったり、
書いたりはしてこなかった。
ところが、先日
十数年振りに旧友と会うことで、
「つながらない」ということも
ときに必要なんじゃないか
と考えるようになった。
旧友とは、男友達であり、
歳もまったく一緒で
ある時期、
彼とは頻繁に会い、
一緒にクリエイティブな仕事をしてきた。
この十数年の間、
まったく音信が不通になっていたわけじゃないから
当然、いまの住居も
連絡先も
おおよその仕事も知っていたけれど
なんとなく会う機会をお互いに
逸していたのだ。
特に、この数年に至っては、
まったくと言っていいほど
連絡ひとつ取らずに来た。
彼は、今現在京都に居を構えている。
もともと京都生まれ、京都育ちだったけれど
東京の音楽大学に進学した際に
こちらに上京し、
以来、長い間、こちらで暮らしていたのだ。
その間に、あることが縁で知り合い
彼の本業である、音楽絡みの仕事を
手伝わせてもらったのだ。
ちょうど、今から十数年前に
突然、京都に帰っていった。
それ以来、少しずつ距離が遠ざかり
会うことが少なくなった。
彼とよく会っていたころは
互いの家で会う時も
喫茶店で会う時も
いつも何杯もの珈琲を飲み、
何時間も粘っていた。
京都に戻る後半の方は
中間地点でもあったので
よく新宿の紀伊国屋の裏通りにある
喫茶店「TOP(今現在は不明)か、
その一本表通り、
つまり靖国通り沿いにあった
「DUG」(1980年代当時)とかで会った。
話は逸れたが、
その彼が急に私用で上京したので
時間あれば、東京駅で会わないか?
と連絡がきた。
もちろん、僕は飛んでいって
1時間程度だったけれど
十数年振りに再会できたのだ。
互いに顔を見合って話すのは
久しぶりのせいか
次々に話が交互に出て・・・。
まあ、内容はさておき、
彼は(もちろん僕ら世代は)、
還暦を目前に、もう一度自分の
やりたいこと、やるべきことと
向き合っている、という。
そのために
ときには、ひととの「つながり」から
一番遠いところ自分を置いてみることも
必要なんじゃないか、と。
当然、そうすることで
「つながる」ことの大切さも
改めて知るけれど
「つながらない」ことで
どこまで個として生きていけるのか
そう、個のできる限界を知ることも
自分を知るために
必要な作業のような気がする、なんて
哲学めいたことを話してくれた。
これには、色々前後の話があり、
これだけ書くと
誤解も大きいと思うけれど・・・。
例えば、「つながる」ことで
甘えはないのか、
依存心ばかり増殖しないのか、
ツイッターやライン、
フェイスブックで
常に誰かと「つながっている」けれど
それは本物の「つながる」って
ことなんだろうか?
もっとも、ワケあって独身の身でいる彼と
僕とは大きく違いもあって
一概に賛同することばかりではないけれど
どこか、安易に「つながっている」ことに
確かに妙な安心感を覚えてしまい
ほんとうに「つながる」ことへの
一生懸命さや誠実さが
欠如していたように思えた。
言葉は、使っていくうちに
だんだん軽いものになっていく。
言葉が出始めた数年前は
切実な思いのなかから
「つながろう」としたことも
いまは、どれほどの重さをもって
「つながろう」としているのか。
その後、彼から一通のメールが届いた。
「またいつか、
じっくり話そうや、
時間をかけて」と。
そんな短い内容だったけれど
もしかしたら、
ほんとうに「つながる」っていうのは
こういうことなんじゃないかな、って
そう思えたことが、うれしかった。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
▼大正浪漫夢通りサイト
http://www.koedo.com/index.html