一生は短い 一日は・・・ |
今年もあと一ヵ月ちょっと。
個人的なことで申し訳ないが
あまり良い一年とはいえなかった。
身内を6月と、つい一週間ほど前に亡くした。
そして9月には、
学生時代に大変世話になった
恩人までもが逝ってしまった。
ふと自分のことを思えば、
(マスターもそうだが)
もうすぐ還暦を迎える。
最近マスターとよく話すのは
ゴールまでの時間の短さのこと。
マスターと出合った十代の頃は
時間なんて持て余すほどあったし、
ゴールなんて、まったく見えなかった。
改めて振りかえると
随分長く生きてきたものだ。
話は戻るが、
一週間前に身内(叔母)が亡くなったのだが、
ワケあって自分が喪主を務め、
初めてのことながら(両親ともに健在なので)、
右往左往しながらも、
滞りなく一通りのことを済ませた。
その日、肉体的とも、精神的ともいえない
不思議な疲労をまとったまま
妙に眠れず、深夜に珈琲を飲みはじめた。
そして、何気なく本棚を眺めていたら
棚の上の隅の方にあった
作家・藤本儀一氏(1933-2012年)の著書
『一生は短い一日は長い』(佼成出版社、1998年)
のタイトルが目に止まった。
20年ほど前に読んだものだから
当時まだ40代に入る
少し手前だったせいもあり、
既に60代だった氏の「言葉」も
共感できたのは氏の30代までの「言葉」だった。
しかし、いま60代を目前にした自分には
どのように響くだろうか、などと思い
棚から引き出してページを繰ってみた。
本書の最終章に書かれている言葉を
抜粋ながら以下に記すと・・・
「十歳までの人生は、
一週間が長く、一日は短かった。
十歳から二十歳までの人生は、
一週間は短く、一日は長かった。
三十代に入る。
一生は長い、一日は短いという感じ。
四十代は起伏の年代になった。
一生は長い、一日は長い。
五十代に入った。この年代は忙しかった。
一生は短い、一日も短い。
六十代に入ると、
やっと自分の目標、
やるべきことが見えてきた。
一生は短い、一日は長い。
という心境に入った。」
それぞれに、その言葉の意味が書かれているのだが
それは省かせて頂いた。
何事においてもそうだが、
その年齢では理解できないものが
後年、理解できるようになるものだ。
この本がまさにその一冊だった。
珈琲のせいか、その本のせいか
結局、その夜は
白々と朝が明けるまで本を読み続けた。
なかなかに、生きていくのは難しい。
この年齢になって、しみじみと感じたことだ。
そんなことを言いながらも
実は、来年初春(予定)には
当店マスターと、友人のカメラマンM.Hとの
『三人展・第二回』を開催する。
そう考えれば、ゴールは近いとはいえ、
まだまだ目に見えるあたりにはなさそうだ。
いいのか、わるのか・・・。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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