原節子さん死去 |
今朝(11月26日)、新聞を開き
驚いたニュースがあった。
女優の原節子さんが
今年9月5日に肺炎のため、
亡くなっていたことが25日に分かった、
というものだ。享年95歳。
この事に僕が触れたところで
高が知れている。
それでも、気になる人のひとりであったことは
紛れもない事実なので、
記さずにはいられなかった。
当然、彼女のことをリアルタイムで
知るよしはない。
なにしろ、
1963(昭和38)年12月12日、
小津安二郎監督(享年60歳)が死去した際、
その通夜に訪れたのが公の場に姿を見せた最後だという。
当時、原さんは43歳。
ひととしても、女優としても、これからだ。
僕が彼女を知るのは、そのずっと後、
上記した小津安二郎監督の作品に出会い
手当たり次第に見まくった頃のことだ。
当時はビデオもなく、
当然ビデオレンタルなどというものさえ
なかったので
安映画館の上映スケジュールをチェックし、
小津監督の名前を見つけては出かけた。
小津監督の話は、また別の機会に譲るが、
とにかく彼の映画には、
決まって原さんが登場しているのだから
自然に気になる女優さんのひとりになる。
しかし、彼女を知ろうにも
今のようにネットなどないから
そう簡単には調べようもなかった。
ましてや本人が引退状態で、
マスコミなどをシャットアウトしていたのでは
ごく普通の学生では
小津さんの残したもの、
またはその映画評を著した書物から
読み取るしかな術はなかった。
小津さんの作品(初期の無声映画は別として、
特に観ることが可能なもの)は、
そのほとんどを観ているので
スクリーンのなかの彼女は
随分観ていることになる。
ほかにも、
黒澤明監督作品で1946年公開の
『わが青春に悔いなし』や
1951年公開の『白痴』は観ている。
また、1947年公開の
吉村公三郎監督作品『安城家の舞踏会』、
1949年公開の木下恵介監督作品
『お嬢さん乾杯』や
今井正監督作品『青い山脈』、
1951年公開の成瀬巳喜男監督作品『めし』など、
日本映画の名作といわれた作品も観ているので
考えてみれば、
彼女の姿をかなり観ることができた。
ある世代(彼女とリアルタイムに生きた)には
「永遠の処女」と呼ばれ
多くの人から愛されていたという。
僕は、残念ながら
スクリーンのなかの彼女しか知らないが
正直言えば、
容姿を観て、それほど美人だとは思わないし、
憧れをもつほどには惹かれなかった。
それでも、僕のなかで
気になる女優のひとりであったのは
彼女の“佇まい”にあった。
どんな役を演じていても、
どこか涼し気で、凛とし、
その所作に対して美しいと感じた。
もちろん、
名匠たちの演出があったからだろうが、
もともと持ち合わせていなければ、
それがすぐに演じられるとは思わない。
これも随分後になってだが、
断片的に彼女のことを語った書物を読んだ。
そのなかでも、片岡義男著の
『彼女が演じた役 』(ハヤカワ文庫)、
貴田庄著書の
『原節子 あるがままに生きて』(朝日文庫)は
それぞれの思いの詰まった書物として
興味深かった。
多分、しばらくは、彼女を知らない者も
知っている者も
「原 節子」という名前に触れる機会が
増えるだろう。
それも、一過性のものだとは思うが。
ま、少なくとも、彼女を知る者は
若々しい彼女の姿を焼き付けた
多くの名画を観直すことだろう。
もちろん、僕も、その一人だ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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