あきれたぼういず |
久しぶりに実家のレコード棚を漁っていたら、
懐かしいものが出てきた。
「ボーイズ」の元祖にして金字塔といわれる、
『あきれたぼういず』のレコードだ。
ちなみに「ボーイズ」とは、
演芸の一種で、楽器を使用した音楽ショウのことで、
この芸の名前の由来が
彼らの名前からとったのは言うまでもない。
その『あきれたぼういず』だが、
ウィキペディアによれば、
昭和12年に、
川田義雄・坊屋三郎・芝利英の三人で結成。
後に益田喜頓が加わったのが第一次。
昭和14年、山茶花究が加わったのが第二次。
ところが、太平洋戦争で芝利英が戦死して、
残った坊屋・益田・山茶花の三人で
再結成したのが第三次である。
とにかく大変な人気だった、という。
当然、僕が知るのは、その随分後のこと。
しかも、それぞれが、それぞれの技量を活かし、
個人としてさまざまな分野で活躍していた。
最初に僕が惹かれたのは
既に役者として確固たる地位を築いていた
益田喜頓氏(1909-1993)だった。
本名は木村一というが、
芸名に
喜劇俳優のバスター・キートンをもじったと聞き、
それだけでも好きな要因だった。
テレビや映画などで、
なんともいえない、とぼけた感じの老人役が多く、
それが僕にはたまらなかった。
その後、坊屋三郎氏(1910-2002)も
好きな芸人のひとりになり、
彼らの芸歴のことなどが気になりだしたのだ。
ただ、補足になるが、初期メンバーだった
川田義雄氏(後に晴久:1907-1957)は
僕が生まれた歳に亡くなっているので
知る由もなかった。
もちろん、さらに遅れて、
古い日本の映画を観るに至って
美空ひばり(少女時代)との共演が多く、
スクリーンで歌う姿を観ることができた。
彼らの音楽に接したのも、
実は古い日本の映画からだった。
それからは、彼らの音楽に夢中になって、
遂にはレコードを入手したということだ。
(さらにCDでも購入している~笑)
どうも、僕の個人的な嗜好で、
この手の音楽というか「芸」が大好きなのだ。
だから、現在も「ボーイズ」ものは
機会があれば好んで観て(聴いて)いる。
余談だが、やはり僕の好きな
『クレイジーキャッツ』などは
彼ら「ボーイズ」とは一線を画す。
それはまた、別の機会に。
休日の午後、のんびりと珈琲を飲みながら
『あきれたぼういず』を聴く・・・
なんとも至極な時間だ。
その後、近年登場した「ボーイズ」たち・・・
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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