「大正」に触った!? |
仕事で神保町界隈に出た。
久しぶりに時間があったので
よく覗く古書店を回ってみた。
頻繁に出かけていたのは
まだ会社に居たころなので、
もう十数年前になる。
その頃の店の何軒かは既になくなっていた。
こんな、古い歴史ある街でさえも、
少しずつ新陳代謝は行われているのか、
そんなことを思うと、
自分の年齢と重ねて
なにか寂しい気持ちになる。
それはさて置き、
いくつか回った店のひとつで
興味を引くものに出合った。
店先の台に並べられた古雑誌の山だ。
どれも、本当に古い物で
ほとんどが大正、昭和初期のものだ。
ただ、残念なことにあまり状態がよくない。
それゆえに、
安価な値段が付けられ、
(安価とはいえ、価格は4ケタ前半だが)
店先の台に並ぶことになったのだろうか。
それとも、今や
その手の物に興味を示すような
古書好きが少なくなったのか。
そのいくつかを手に取ってみた。
奥付を確認すると
発行日は大正末期で、
発行した出版社は
当時はわからないが、今は
大手出版社のひとつだし、
しかもその雑誌は、装丁は違えども
いまも発行されている文芸誌だ。
執筆者も、僕が知るかぎり
谷崎潤一郎、竹久夢二、小川未明、中川一政
岡本一平、岡本綺堂、横光利一・・・などなど、
錚々たるものだ。
当時の、いわば売れっ子さんたちだろう。
そんな風に古雑誌を繰っていたら、
妙な気分に襲われた。
手に取った古雑誌は
およそ100年前の世界に存在していた物だ。
そして、もちろん、その雑誌は
当時の人の手から手に渡り、
多くの出来事の中で
今日まで処分されることなく
生き延びて来た物なのだ。
本体に刻まれているその折れや傷、汚れは、
大正のその時期についたものか
昭和になってからのものか
それはわからないが、
いずれにしても、その時代時代の空気を
本体は間違いなく吸いこんできた。
大正時代のある時期、
それは街の書店に新刊として並び、
勤め人か、学生か、
またはご婦人が買い求め、
机の上か食卓か、店のテーブルに
苦い珈琲などを飲みながら
まだ印刷の匂いが漂う本体のページを繰り、
好きな作家の文章を読み漁る。
そんな光景が、まるで目の前で見ているように
次々頭に浮かんできた。
いま、この自分は
平成の時代に居ながら、あきらかに
「大正」という時代を触っている、
そんな妙な、
なんともいえない興奮に見舞われたのだ。
本日も、ご来店、ありがとうございました。
店主に代わりまして、お礼申し上げます。
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