怪獣映画と映画館 |
昨年は『シン・ゴジラ』が話題になり、
ふらっと映画館まで出かけたら
長い列ができていて
こりゃ簡単には観られないな、と諦めたら
そのままになってしまった。
その時に思ったのが、
ゴジラ(映画)はいったい何世代まで続くのだろう?
という他愛ないこと。
そういえば数年前に、
ゴジラは「還暦」を迎えている。
初めて映画館で『ゴジラ』を観た私も
今年「還暦」を迎える。
まさか、こんなに長く続くとは・・・。
さて、前置きが長くなったが、
つい先日、当大正館マスターと雑談をしていて、
初めての『ゴジラ』映画をどこで観た?という話になり、
そんな話の流れで、
じゃあ、『大怪獣ガメラ』は?
『大巨獣ガッパ』は?という(どうでもいい)話題になり
そこで気づいたのが、私たちが観た頃は
川越にも映画館がいっぱいあったなぁ、
という話にまで及んだ。
確か、以前、このブログで川越の映画館について
記したことがあった。
▼川越の映画館(2014.7.25)
http://taisyokan.exblog.jp/23008809/
私が当時『ゴジラ』映画を観たのが
いまはその跡さえないが
川越駅東口の「東武ストア マイン」のあたりにあった
「川越映画劇場」という映画館だった。
当時、川越駅の近くに住んでいたので歩いて出かけた。
マスターの記憶でいうと、ゴジラ映画とは違うが
1965(昭和40)年に封切られた
『大怪獣ガメラ』を、いまの大正館近くにあった
(これも今はその跡さえないが)
「川越大映」で観たとのこと。
私にはその映画館の記憶がない。
私もガメラ映画を観たが、どこで観たのだろう?
また、マスターが言うには、
1967(昭和42)年に封切られた
『大巨獣ガッパ』は
大正館のすぐ脇の道にいまも残る
「川鶴座(旧・川越日活)」で観たと。
余談だが・・・
当時の怪獣ブームに乗って、
大映(現KADOKAWA)は『ガメラ』シリーズを撮り、
日活も同様に『ガッパ』を撮影したという経緯がある。
ちなみに、長い歴史を持つ『ゴジラ』シリーズは東宝の作品だ。
シリーズでいえば、
『ガメラ』シリーズも大健闘ではないだろうか。
平成版のガメラまで製作されていることを思うと、
製作は大映をスタートし、
その後いくつかの映画会社に変わってきたが、
根強いガメラファンが居ると聞く。
そういえば、第一作を監督した大映の
湯浅憲明監督は
以降もシリーズを手がけたが、
調べてみると、その後
我々世代には懐かしいTVドラマも多く手がけている。
1970(昭和45)年、
岡崎友紀・石立鉄男出演の『おくさまは18歳』、
1972(昭和47)年、
人気の高かったアイドル女優(?)
坂口良子主演の『アイちゃんが行く』、
さらに同年には石橋正次、浜田光夫という異色キャストの
『アイアンキング』など、
(個人的に、ウルトラシリーズとは違う
『アイアンキング』は好きだったなぁ~笑)
青春コメディものから、やはり特撮ものまで
幅広く活躍していた。
脱線ついでながら、
『大巨獣ガッパ』は、日活が唯一製作した怪獣映画として
こちらもコアなファンが存在している。
しかし、残念ながら日活はこれ以降怪獣映画は撮られていない。
そもそも、出演者の名前を見れば納得するが、
川地民夫、山本陽子、和田浩治、藤竜也なんていう
石原裕次郎映画にでも出てきそうな
俳優さんばかりだ。
それに、この映画を撮った
野口晴康監督は、
和製ジェームス・ディーンなんていわれた
赤木圭一郎や小林旭などの
アクション映画などを手がけているひとで、
怪獣映画はこれ1本だけのようだ。
話を戻そう・・・
私たちが小学生のころが怪獣ブームのピークで
その当時のゴジラシリーズのほとんどは
私もマスターも
現三井病院の新館にあった
「川越ホームラン劇場」で観ている。
もっとも、当時、マスターが観たという「川越大映」も
私が観た「川越映画劇場」も閉館していたし、
日活の専門館も『ガッパ』以降は
アクション映画に戻り、その後
日活の代名詞的ともいえる
成人(ピンク)映画の専門館に変わった。
怪獣映画の話から、思わぬ方向に話が飛んだが、
映画産業が華やかだった時期、
私たちもあきらかにその体験者だったということだ。
しかも、川越という小さな街でありながら、
ひとつの時代の潮流を感じられたことは
大げさかもしれないが、一生の宝かもしれない。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、老朽シネマ館さんでした。
▼大正浪漫夢通りサイト
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