「カセットテープ」で思うこと |
“レコジャケ”話しをしてから、
そういえばと思ったのが
「カセットテープ」。
去年あたりだったか、
レコードの復活(に伴ってかな?)と
この「カセットテープ」というのも
なにか話題になったような。
でも、結局はこれも死語なんだろうなぁ。
どうも、私らオッサン世代には
レコードと並んで、音楽を聴くツールとしては
欠かせない媒体だった。
その、ほんの前にはオープンリールのテープに
バカでかい再生機で音楽を録音したり、
聴いたりしていたもので、
それがこのカセットテープの出現で
どれほど世界が広がったことか!
恐らく、今の若い世代にはその革命的な媒体の出現に
狂喜乱舞したことなど想像もつくまい。
・・・ま、想像してもしょうがないけれど(苦笑)。
確か、昭和50年代頃のことだから
自分が中学生だったろうか、
その頃は小型のオープンリール型の機器も発売されていて
父親が持っていたものを借り、
深夜放送や音楽番組を録音していた記憶がある。
そのうち、カセットテープという
なんとも便利な媒体が登場し、
あっという間にそれが一般的には主流となった。
それに伴って、カセットテープは
録音・再生機器のクオリティを高め、
重厚な音を楽しめる大型のものから、
持ち運び可能な軽量なもの、
さらには
その後、今日に通じる
音を<個人的に楽しめる>機種として
ウォークマンといったものまで出現。
あくまでも個人的なことだが、
それらが出現するたびに、
自分が社会へと一歩一歩近づいていき、
なんとか自分の小遣いの範囲で
それらを容易に購入できるようになった。
だから、振り返れば
その歴史は個人史にも通じているかもしれない。
初めて自分の車(中古車だけど)を持ち、
ドライブ中に気に入った音楽を聴いたのも
カセットテープだった。
これも個人的なことだが、
カセットテープを保管するボックスを購入し、
カセットテープのケースに封入されている
ジャケット部分(?)に自分の好きな絵柄を貼ったり、
カセットテープのタイトル部分に
家にあったタイプライターで打ちこんだものを
貼りつけたりして、自分だけのオリジナル性
(というほど大したものじゃないけど)を出してみた。
このタイプライターで打ちだした文字の大きさが
なぜかカセットテープの背の部分に
ぴったりはまるサイズだったのは今でも不思議だ。
(しかし、“タイプライター”も今や死語か?)
どうもこの数十年の間に
自分の生活に大きく関わりを持っていたモノが
次々に死語になっていく。
それはさて置き・・・
レコード、カセットテープと見ていくうちに
ふと音楽のカタチを考えた。
つまり、レコードやレコジャケ、
カセットテープの本体やケース。
これらは、すべてカタチあるもので、
現に今でもレコード棚には或る程度の量が収まっているし、
カセットテープも実は貴重な音源は捨てられずに
未だにきちんと保管している。
でも、いまという時代は
ダウンロードが当たり前のようになり、
先日若い連中と車で出かけたら
なんと車内で
スマートフォンを取り出し、
You Tubeを流し始めた・・・これには正直驚いた。
ダウンロードどころか
まったくお手軽に、その時の気分に応じて
You Tubeから探しまくれば
嫌ってほどの音楽が聴ける、しかも
その音源自体は無料で。
つまり、ダウンロードもYou Tubeも
自分の手もとには一切カタチあるものが残らない。
敢えて残さないのか、残すという概念が
すでに過去の遺物なのか。
確かに、複製する技術が無かった時代は、
音楽は一度きりのものであって、
その場に居合わせない限り
聴くことができないものだった。
ましてや個人で所有して
繰り返しそれを聴くなんてなかったのだから、
そういうものだよ、って言われてしまえば
それまでの話であって、
やっぱり私自身の考えそのものが
すでに死語なのかもしれない。
そんなことを思いながらも、
カセットテープにしか録音されていない
古く、懐かしい音を時々楽しんでいる。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、
今回もワケメテープさんでした。
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