チャコちゃん! |
亡き父のアルバムを整理していたら、
私自身は写っていないけれど、
とても懐かしい想い出深い1枚を見つけました。
それは父だけの顔のアップですが、
写真に写る父はテレビの画面のなかに居ました。
しかも不鮮明なモノクロで、古いブラウン管型のテレビ画面の写真です。
撮影されたのは、昭和40年代です。
撮影者を私は知りませんし、
もちろん父が撮ったわけではありません。
後に聞いた話では、テレビ出演を知っていた父の知人が
わざわざテレビに映った父を撮影したとのことでした。
当時、ビデオなど無い時代ですから
よほど辛抱強く父の出番を待ちかまえて
その瞬間を急いで撮ってくれたのでしょう。
それと私の想い出というのは、
実はそのテレビの映像には私自身も映ったからです。
唯一、60年間生きてきた私の
最初で最後のテレビ出演です(笑)。
ただ場所はテレビ局ではなく、
日比谷公会堂というホールからの公開中継でした。
まだ幼稚園くらいだったでしょうか、
父と一緒にその舞台に上がったのです。
その舞台というのは、
1962(昭和37)年10月 から
翌年 5月までTBSで放送されていた
『パパの育児手帳』というTVドラマの公開放送でした。
『パパの育児手帳』は、
俳優の安井昌二さんと
夫人で女優の小田切みきさん、
そしてお嬢さんの四方晴美(よもはるみ)さんが
出演していました。
そのドラマの企画で、
一般から“パパの育児手帳”なるテーマの
論文(雑文?)を募集した(らしい)のです。
どうやらそれに応募した父の作品が優秀賞を受賞し、
その公開放送で賞状などの授与が行われたのです。
つまり、父の、その育児手帳の主役となったのが
私というわけで出演したということでした。
司会はタレントの松島トモ子さんでした。
はっきり覚えているのは、その松島さんが
「お名前は?」と聞かれたことです。
ほかにもいくつか聞かれたらしいのですが、
ほかに答えた記憶がまったくありません。
それから舞台裏でスタンバイしているときに
出演していた安井昌二さんやボニージャックスの皆さんが
父のそばに来て挨拶されたこと、
そしてそのお嬢さんである四方晴美さんが
私と同学年であることを教えられたことくらいです。
実は、当時この番組
『パパの育児手帳』を見た記憶がありません。
その後、同じTBSで児童向けTVドラマ『チャコちゃん』
が1966年2月 から始まりました。
この頃になるとさすがに夢中で見ていた記憶があります。
特に、テレビ画面に映るチャコちゃんとは
(彼女はともかく)私としては一面識あるわけですから、
妙な親近感をもって見ていました。
これが後々、「チャコちゃんシリーズ」、そして
「チャコちゃん、ケンちゃん」など
“ケンちゃん”シリーズへと繋がっていくのです。
当然、いまこの話が通じるのは
下では50歳くらいまででしょうか・・・。
チャコちゃんを演じられた四方晴美さんは
しばらくして引退されたと知りましたが、
安井昌二さんは
私が映画館通いをしていた学生時代に
市川崑監督作品『ビルマの竪琴』(1956年)を見て、
「あ、チャコちゃんのお父さんだ!」と思いました。
また小田切みきさんも、
黒澤明監督作品『生きる』(1952年)を見て、
「あ、チャコちゃんのお母さんだ!」と思いました。
これも、何だか不思議な感覚でした。
いずれにしても、遠い昔のあくまでも個人的な想い出です。
調べてみたら、当時の『チャコちゃんシリーズ』は
DVD等のいわゆるソフト化がされていないとのことです。
そう言われると、ぜがひでも
もう一度見てみたいと思います・・・色々な、意味で。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、昭和のドラマさんでした。
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