あなたの“使命”は? |
それほど熱心な読書家というワケではない旧友が、
唯一これだけは、と何巻にもわたる長編小説を
読破するばかりか、幾度も繰り返し読み込んだという
本がある。
司馬遼太郎著作の『竜馬がゆく』だ。
先日、その旧友と久しぶりに話していて
そんな事が話題になった。
「十代に出会ったその本は、
その後の自分の生き方に少なからず影響を与えたな」
と彼がしみじみ話すので、
「ほかにはなかったのか?」と聞いたら、
あんな長い小説は後にも先にも読んだことがないし、
最近は手軽なミステリー小説くらいしか読まないね、と
笑って答えた。
自分自身も十代のある時期に
『竜馬がゆく』は読んでいる。
自分はその後の人生に影響を受けたかどうかはわからないが、
この長い小説の最後の数行に書かれた
この文章だけは妙に頭に残っている。
「天に意思がある。
としか、この若者の場合、おもえない。
天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、
その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。」
―司馬遼太郎『竜馬がゆく』最終巻・近江路より―
特に“その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした”
という一行は、この60年余りの人生で
何度となく、頭に浮かんだフレーズだ。
それも、ごく近しい人が亡くなったときに
このフレーズが必ずと言っていいほど頭をよぎる。
身内はもとより、友人、知人などが
突然自分の目の前から居なくなる(亡くなる)とき、
〈いったい彼(彼女)は
どんな使命がおわったのだろう?〉か、
そして、その“使命”と自分はどんな関わりがあったのだろうかと。
そうして考えていくと、
この自分にも、そんな“使命”があるのだろうか、
もしあるとしたら、それは何だろう?と
答えのない答えを探し始める。
でも、考えてみても情けないことに思いいたることが
一つもない。
しかし、それではあまりにも体裁が悪いし、
ただただ生きてるだけと思われるのもしゃくだから、
誰かに聞かれたら、
日々大正館で味わうマスター自慢の一杯の珈琲を
じっくり、ゆっくりありがたく頂くことが
自分の“使命”だ!と答えることにしよう。
(それも、情けないことではあるのだが・・・)
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、名もなき者がゆくさんでした。
▼大正浪漫夢通りサイト
http://www.koedo.com/index.html