原っぱ |
「原っぱ」という言葉は死語とは言わないまでも、
最近ではめったに聞かない。
第一、その言葉を使うのは大抵小学生くらいの子どもらではないだろうか。
そう考えれば、無理もない。
だいたいにおいて、今やそんな場所はそうそう存在しないからだ。
僕らが子どもの頃は、
それこそ近所にひとつやふたつは
そう呼べる場所があって、
友だちらとそこへ行き、
大好きな野球などを思う存分楽しんだものだ。
まあ、そんな昔ばなしをしたところで
ジジイのタワゴトにしか過ぎないけれど。
つい最近、川越市駅に降りたら
なんとも懐かしいような風景が目の前に飛び込んできた。
昔見た、あの「原っぱ」の風景だ。
もちろん、厳密にいえばそこは「原っぱ」を思い出させる風景であって
実際は昔あったその手の場所ではない。
もともと川越市駅に隣接したスポーツ施設のビルの跡地で
いまは取り壊されてさら地になっているだけの場所だ。
取り壊し作業が行われていた間は高い塀に囲われていたため
まったく中の様子が見えなかったが、
ここへきてその塀がなくなって
すっかり見渡せる状態になった。
駅前に、これだけ見渡せる、何もない空間が広がっていると
なんとも妙な気分だ。
そういえば、半世紀も前の話だが、
川越駅西口あたりなんて、そのな「原っぱ」みたいな空き地があって、
僕らは休みの日に草野球を楽しんだものだ。
そして、その頃の僕らはそういう場所は永久になくならないと
信じていたし、その風景こそが僕らの町の姿だった。
あれから半世紀。
もうそんな風景は僕らの記憶からも遠ざかってしまい、
突然目の前に現れた「原っぱ」のような跡地に出会って
昔を思い出すも、なんとなくどこか落ち着かない気分にさえなる。
この場所がこの先何になるのかは知らないし、
実は興味もないのだけれど、
いっそこのまま、この風景が町の顔のように溶け込んでいったら
なんだかいいな、なんて思ったりもする。
川越市駅の目の前に
やたら無意味としか思えない「原っぱ」が広がっているなんて、
ちょっと素敵じゃないかな。
1本の木も、遊具も、ベンチさえもない、
ただの何もない「原っぱ」が・・・。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、夢想さんでした。
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