喜多院にて |
何十年振りかに喜多院を訪れました。
正確には通りすぎたのですが、
そこは、私の知る(思い出にある)
喜多院とは別の光景が広がっていました。
時代が変われば、街の表情も変わります。
でも、私の認識では、
神社仏閣というか、
そういうところって、何百年経っても
変わらないもの、と思っていました。
まるで体のいい公園のようでした。
もっとも、いまや川越の観光の目玉のような場所ですから
そうなって当然だとは思います。
それはそれでいいのでしょうが・・・
何か幼少の頃から十代の終わりまで
慣れ親しんだ場所だったから
ちょっと寂しさもありました。
そんなことを思いながら、
時間もあったので境内を歩いていた時です。
同年輩ほどの女性が
車いすに乗る老婦人を伴って歩いて来られました。
娘さんとお母さんでしょうか、
とても親しげな様子でした。
彼女らが私の近くに来た時、
何気なくそのお二人の会話が聞こえてきたのです。
車いすを押す女性が
「わかる?覚えてる?」と聞くと、
老婦人はしばらくそれに答えなかったのですが、
ゆっくりとした口調で
「変わってしまって・・・」とだけ答えていました。
すると、すぐにその言葉にかぶせて
「そうね、ずい分変わった」と
車いすを押しながら女性が答えていました。
そんなやりとりに
思わず私も「そうですよね」と声をかけたくなりました。
変わりました、すっかり。
きれいになることは悪いことではないです。
でも、例えば、この境内に入るために渡ってきた
あの「どろぼうばし」も
昔渡ったあの橋の、
名前の由来に納得するような感じはなかったし、
その下にある堀さえも、
あの頃のようなうっそうとしたものではなく
とても整備され、美しくなっていました。
昔はもっと不思議な雰囲気を持っていたし、
それへ続く石段もなにか忘れられた時への階段のような、
そんな魅力があったように思います。
小さい頃、
その石段を上がった社のひとつに、
半眼だったのか、しっかり目をつむっていたのか
あまり記憶にないですが、
仏像のようなものが安置されていて、
その社の周囲を、息を止めて三周回って
その像を眺めると
閉ざされた目が開く、と言われたことがありました。
ウソかホントウかは別にして
友人と何人かでそこへ行っては試してみたものです。
でも、誰も息を止めて三周できずに
一度も見開いた目を見たものはいませんでした。
「五百羅漢尊」のなかに初めて入ったのは小学生のとき。
それから数回はいきましたが、最後に入ったのは十代の中頃です。
当時、拝観料は不要でしたし、
いまは閉ざされているのでしょうか(?)
正面の門から、ごくごく普通に入りました。
車いすの老婦人らの姿はどこにもありませんでした。
彼女らの思い出の場所だったのでしょうか、
あの頃の光景はもうありませんが、
ひとの心に生きる思い出だけは変わりません。
そう、彼女らの想いと同じ、私の想いもまた
変わることはないでしょう。
さて、珈琲一杯にどんな価値を見いだすかは
あなた次第ですが、
どうぞ、今日も素敵な一杯を!
――本日のブログ担当は、「故郷は遠きにありて」さんでした。
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